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信州長野の旅と歴史
信州の旅        北佐久郡軽井沢町

追分宿
おいわけじゅく
長野県北佐久郡軽井沢町大字追分
Tel 0267-45-1466 追分宿郷土館


 宿場町として有名な追分宿は信濃追分駅から浅間山方面へ歩いて20分ぐらいのところにあります。江戸時代、軽井沢宿、沓掛宿、追分宿は「浅間根腰の三宿」として知られました。
 追分宿の分去れ(わかされ)は中山道と北国街道の分岐点です。分去れの句碑があり、その昔旅人達にとって中山道と北国街道の分岐点の道標でした。
追分宿の分去れ
 さらしなは右  みよしのは左にて
     月と花とを追分の宿
 とうたわれているように、ここを右に行けば北国街道月の名所の更級や越後路に、左にいけば桜の名所吉野や関西方面に行けました。
追分宿の分去れ
 追分宿の分去れ付近には、延宝年間の道標を始めとして、森羅万象の狂歌碑、子育地蔵、追分宿の歌を刻んだ子育地蔵、勢至菩薩、廻国塔、馬頭観音像、そして追分宿の伊勢講中と石燈篭などが林立しています。
追分宿の分去れ
 追分宿は浅間根腰の三宿」の中で特に賑わったようです。貞享年間には旅籠71、茶屋18を数えたそうです。碓氷峠が控えていましたので追分に泊る人は多かったようです。
追分宿の分去れ

 高札場は村の入り口や中心の目立つ場所に幕府からの禁制や通達事項などをしるした高札を掲げた場所です。追分宿の高札場は、問屋前の路中央にありました。
追分宿高札場
 寛永10年(1633)の古文書によると、広さ九尺横一間、高さ三尺の芝土手を築き、高札場の柱は五寸角のものを使用して駒寄柱は四寸角で高さ六尺の規模であったそうです。昭和58年(1983)、当時の古文書等から、高札場を復元しました。高札の現物は追分宿郷土館に保存展示されています。
追分宿高札場

 追分宿郷土館は追分宿の旅籠・茶屋・問屋の民族資料と近世の宿駅を展示の課題に捉え、「街道の歴史と文化」をテーマにしています。
追分宿郷土館
 近世の宿駅制度を研究する上で重要な歴史資料を残した、本陣土屋家の古文書等を中心に展示・公開しています。
追分宿郷土館


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