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信州長野の旅と歴史
信州の旅        小諸市

布引観音(釈尊寺)
ぬのびきかんのん(しゃくそんじ)
長野県小諸市大字大久保2250
Tel 0267-23-0520


 布引観音は正式には布引山釈尊寺という天台宗の名刹です。小諸駅の西よりにあり、。天平20年(748)、聖武天皇の勅願より行基が一宇を建立し、聖徳太子作の聖観世音菩薩像を安置したのが始まりと伝えられています。(神亀元年(724)の創建という説もあります)
 布引観音は信濃33観音霊場の第26番札所に定められています。信濃33観音霊場は、江戸時代の初頭に定められたと伝えられています。札所は善光寺への街道筋にあることから、善光寺信仰と深いつながりがあると考えられています。
 布引観音は牛に引かれて善光寺参りの伝説で知られています。断崖絶壁にかかる観音堂に安置されているのが、牛に化身して強欲な婆さまを善光寺に連れていき改悛させたという布引観音の本尊の聖観世音菩薩です。
 布引山の切り立った中腹にある朱塗りの観音堂には宮殿があります。ここは国の重要文化財に指定されています。断崖絶壁にある観音堂は、実際に行くと、すごい所に建てられています。宮殿から眼下には千曲川が流れ、城下町小諸や浅間山も一望できます。
 布引観音は天文17年(1548)、武田信玄が楽厳寺入道、布下仁兵衛を攻めたときに兵火にかかって消失しました。弘治2年(1556)望月城主であった滋野左衛門左が再建しました。その後も享保8年(1723)に再び野火のために炎上したそうです。翌年には小諸藩主牧野周防守康明が再建しています。
 現在ある伽藍の多くは、その時に牧野周防守康明によって再建された建物です。江戸時代後期に小諸藩主牧野康明によって、現存する堂宇の大半が整備されました。観音堂内にある「宮殿(くうでん)」は国の重要文化財に、また「白山社社殿」は県宝に指定されています。

布引二段滝
 布引渓谷は信濃の耶馬渓といわれています。大自然が創りだした渓谷美は四季を通じて人々の目を楽しませてくれます。
 この滝もその中の一つで、春から夏にかけてはグリーンに、秋は紅葉一色のベールにつつまれます。冬はみごとな氷滝に変化するのです。

馬岩
 布引山の裏の台地を御牧ヶ原といい平安時代、朝廷直轄の官牧でした。紀貫之の「望月の駒」はここで育て朝廷におさめた駿馬のことです。岩に馬の駆ける姿が出ています。

見守り地蔵
 この参道には信者の人たちが安置した無数の木仏、石仏があります。道行く人の安全を見守ってくれています。このお地蔵さんもそのひとつです。 


牛岩
 牛に引かれて善光寺参り」の伝説発祥の地にふさわしい岩です。牛の姿が現れていて布引渓谷の中でも迫力ある奇岩です。

善光寺穴
 長野の善光寺まで穴が通じているといわれています。昔、善光寺火災の時にこの穴から煙が出たと伝えられています。善光寺と布引観音を詣でて初めて大願成就するといわれています。

不動滝
 岩の上に不動尊が安置されているのでこの名があります。ここからの観音堂は趣があり京都の清水寺のようです。




 岩を掘り抜いた奥には宮殿が見えます。この付近はカタクリの花の群生地でもあり、毎年美しい花を咲かせます。

 春風や牛に引かれて善光寺(一茶)

人に連れられて、偶然ある場所へ行くこと。人に引っ張られて、思いがけず善い行いをしてしまうことをいいます。

六地蔵
 六道(ろくどう)地蔵ともいい衆生がそれぞれの行いによって生まれ変わっていく六種の迷いの世界を地蔵尊に表わしています。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上を「六道」といいます。

観音堂・観音堂宮殿
 布引観音堂は桁行5間、梁間5.5間懸造り、入母屋、銅板葺き、朱塗りの建物です。天正20年(1592)に建てられています。
 観音堂宮殿は観音堂内にある仏殿形の厨子で、「建造物」として国の重要文化財に指定されてます。正嘉2年(1258)に建立されています。昭和11年(1936)、国宝に指定され、現在は国の重要文化財になっています。
 単層入母屋造り、板葺き、桁行1間、梁間1間、軒下の蟇股(かえるまた)や、地長押の下の格狭間(ごうざま)など、細部の形式に鎌倉時代建築の特色を示しています。

白山社
 白山社は観音堂近くの岩のくぼみの中に建てられています。この社殿は御牧原の白山地籍よりここに移築されたといわれています。1間社春日造、屋根は柿茸きで、室町時代中期を下らない時代の特徴を良く表しています。昭和34年(1959)に修復され、長野県宝に指定されました。

 宮殿の横の掘り抜いた岩の中から山頂へ行かれます。
 かなり急な道や岩を登れば山頂に出られます。冬の間は通行禁止になっています。かなり恐ろしいところもありますので健脚の方のみです。


「牛に引かれて善光寺参り」の説話
 むかし信心のうすい老婆が住んでおりました。ある日、千曲川で布を晒しておりますとどこからともなく一頭の牛が現れ、その布を角にかけて走り出しました。
 老婆は驚いて、野を越え、山を越え、牛の後を追いかけました。ふときがついてみますと信州の善光寺の境内まで来ておりました。
 老婆は、やっとのことで牛に追いついたのかと思ったのもつかの間、牛は金堂あたりで、突然姿を消してしまったのではありませんか。
 驚きと悲しみに疲れ果てた老婆は、あっけにとられてその場にたたずんでしまいました。日も暮れる頃、どこからともなく一条の光明がさし、その霊光の尊さに思わずひざまずいて、菩提心を起こし一夜を金堂にこもって罪悪を詫び、家に帰ってまいりました。
 ある日のこと、ふと布引山を仰ぎ見ますと、岩角にあの布が吹き付けられているではありませんか。老婆は何とかして取り戻したいと思いましたが、断崖絶壁のことで取る術もありませんでした。
 一心不乱に念じているうち、布とともに石と化してしまったということです。 この布引山の断崖には今も白く布の形をした岩肌が眺められます。
 布引観音菩薩が牛に化して信心うすい老婆を、善光寺阿弥陀如来の許に導いて教化をしたのだそうです。この話は信濃四大伝説の一つとして今に語り伝えられています

幻牛伝説
 この幻牛伝説を通じて人間愛、郷土愛をはぐくみ心のよりどころとして幻牛(ゆめ)街道を多くの人々が訪れ言い伝えていけば布引観音様のご加護があるでしょう。



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