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信州長野の旅と歴史
信州の旅        長野市松代町

長国寺
ちょうこくじ
長野県長野市松代町松代1015−1
Tel 026-278-2454


 長国寺は松代藩主真田家の菩提寺です。曹洞宗に属し、信州総禄所として格式を誇っています。天文16年(1547)真田幸隆が真田郷の松尾城内に真田山長谷寺として建立しました。元和8年(1622)上田藩主であった真田信之が松代移封に伴い現在の地に移転し寺号も長国寺と改めました。
 六文銭の家紋の入った屋根の造りは、真田家の菩提寺ならではのものです。屋根に海津城から移した全長1mの二つの鯱が逆立っています。真田家歴代藩主の墓があるほか、信之、信弘の御霊屋があります。歴代藩主の墓所は霊廟の裏手にあり、幸村・大助親子の供養塔もあります。
 真田信之は戦国武将真田昌幸の長男として永録9年(1566)に生まれました。関ヶ原の戦いの際、父昌幸と弟の幸村は石田三成が率いる西軍に属しました。信之は家名存続のため父昌幸の命に従い徳川方の東軍に味方しました。 
 関ヶ原合戦後、敗れた昌幸・幸村は九度山へ配流されました。縁者配流の罪にもかかわらず、東軍についた信之に対しては咎めが無く、旧領の沼田・上田が安堵されました。

 境内には3代藩主真田幸道霊屋を移設した開山堂があります。開山堂は長野県の県宝に指定されています。霊屋とはお墓ではなく霊廟です。祖先又は特定の人の霊を祭るところです。
長国寺開山堂
 真田家4代目の城主・真田信弘の御霊屋は長野県の県宝に指定されています。真田信之霊屋の南隣に、元文元年(1736)の信弘の死後、直ちに建てられたものです。方三間の宝形造り、柿葺きで、縁を回し、向拝が付いています。正面に桟唐戸をつり、組物は出組・詰組で、軒は二軒の繁垂木です。
4代藩主信弘の御霊屋
 沼田藩初代真田信之の御霊屋は当時の名工たちの技を今に伝えています。中でも破風の鶴は左甚五郎、格子天井の絵は狩野幽筆の作といわれ、夜な夜な破風を抜け出し稲を食い荒らしたと伝えられる「松代の民話」の「長国寺の鶴」として有名です。この御霊屋は国の重要文化財に指定されています。
初代真田信之の御霊屋
   元和2年(1616)、真田信之は、父昌幸の築城した上田城に入り、長男信吉が沼田藩2代藩主になりました。元和8年(1622)、松代に移封になり松代藩10万石の藩主となりました。万治元年(1658)この世を去っています。
 長国寺境内には恩田木工民親の墓があります。民親は松代藩の家老勝手掛として藩の財政を建て直しました。そして、その経緯を書き綴った「日暮硯(ひぐらしすずり)」の著者でもあります。
恩田木工民親の墓


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