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信州長野の旅と歴史
信州の旅        長野市

苅萱堂往生寺
かるかやどう おうじょうじ
長野県長野市大字西長野往生地1334
Tel 026-232-4349


 善光寺の西北の山腹にある往生寺には、苅萱道心の墓があり、苅萱親子が刻んだと伝えられる苅萱親子地蔵尊が祀られています。
  往生寺は「刈萱道心と石堂丸」で有名な刈萱上人(等阿法師)が開いた寺で、別名「かるかや堂」とも呼ばれています。刈萱道心の話は浄瑠璃などで知られています。堂内でその縁起を説明する絵解きは、貴重な教化風俗となっています。
 仁平2年(1152)、九州の博多、今の福岡近辺の領主であった加藤左衛門尉重という武士が、花見の宴で酒盃のなかに桜のつぼみが落下したのをきっかけに世の無常を悟り、出家を決意して比叡山にのぼり、叡空上人のもとで剃髪をし、等阿と名のりました。刈萱道心(かるかやどうしん)の誕生です。源空(法然上人)の弟子となり、黒谷(京都)において13年間、念仏に励みました。
 そして妻子がたずねて来るのをおそれ、当時、女人禁制であった高野山に身を隠しました。しかし14歳になった実子の石堂丸が父をたずねてきました。我が子であることに気づきながら、父であることを伏せて、たずねる方はこの世の人でないと告げます。
 石堂丸は、高野山のふもとの学文路宿(かむろのじゅく)に待つ母のもとに戻りましたが、長旅で病んだ母は亡くなっていました。泣く泣く母の遺骨を背にして再び高野山へのぼり、先に面会した僧をたずね、弟子入りをせがみました。刈萱はやむなく親子の名のりをしないまま弟子とし、道念と名ずけました。
 やがて、成人した石堂丸を見届けた刈萱は、親子の情愛に引かれがちな修行に終止符をうつべく、単独で信州善光寺を目指して旅立ちます。善光寺如来に七日七夜日参し、最後の修行地として、善光寺の西北6丁の山腹のこの地を授かります。長年の修行の後、建保2年(1214)に83歳で亡くなりました。

 童謡「夕焼小焼」の作曲者・草川信先生は、この寺の鐘の音を耳にした幼少の思い出をもとに作曲しました。大正12年(1923)の作です。
 鐘楼の前には作詞者・中村雨紅先生の直筆の歌碑が建てられています。
夕焼小焼の鐘


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