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信州長野の旅と歴史
信州の旅        長野市戸隠

戸隠神社
とがくしじんじゃ
長野県長野市戸隠3506
Tel 026-254-2001 中社社務所


 戸隠神社は、戸隠山の麓にある中社、宝光社、奥社、九頭龍社、日之御子社の5社の総称で、天照大神の天の岩戸開きの神話伝説にゆかりの神々を祀っています。
 九頭龍社は奥社の横に、日之御子社は中社と宝光社の中間にあります。通常は、奥社、中社、宝光社で戸隠3社と呼ばれています。
 戸隠神社の創建は第8代孝元天皇の5年(BC210)、天照大神が隠れた天岩戸を開け、岩戸をこの地まで投げ飛ばしたという大力の神・天手力雄命を勧請したのが始まりといわれています。
 天武天皇14年(685)に朝廷から3人の朝臣が派遣され仮の宮が造られました。嘉祥2年(849)に行者によって新たに戸隠山顕光寺が開山され別当となり、神仏混合の全国有数の聖地となりました。
 33もの岩窟は修験霊地とされ、多くの修験僧が修業に訪れるようになりました。平安時代には比叡山の荘園であったといわれ、戸隠3千坊と呼ばれる中部地方の修験の中心地として栄え、比叡山、高野山と共に「3千坊3山」の1つに数えられました。
 奥社が創建された後に宝光社が創建されました。宝治元年(1087)に時の別当が「当山は三院たるべし」という夢告を受け、両社の中間に中社が創建されたといわれています。現在、中社には21の宿坊(社家)があり、戸隠講の御師として各地を巡っているそうです。
 戦国時代は、上杉、武田両軍の兵火による被害を受け一時衰退しましたが、上杉景勝により再興されました。江戸幕府からは庇護され、1千石の朱印状を賜り、「戸隠法度」が定められ、社寺奉行が管轄しました。
 明治時代の神仏分離令と廃仏希釈により、仏式が廃され、多くの仏像や法具を手放し戸隠神社として独立しました。

 戸隠神社の中社は戸隠の中心に鎮座し、「天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)」を祀っています。素戔嗚尊の度重なる非行に天照大神が天岩戸に隠れた時、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったという神です。
戸隠神社中社
 中社の境内には樹齢900年に及ぶ三本杉がそびえています。この杉は鳥居を中心に正三角形に位置していて、八百比丘尼の伝説の杉だといわれています。
 若狭国小浜の漁師が人魚を殺し、誤ってその肉を三人の子に食べさせたところ三人とも人魚になってしまいました。漁師はその罪を悔い、戸隠山に籠もり、杉の木を3本植えたそうです。その伝説が残る杉なのです。
戸隠神社中社

 戸隠神社の奥社は戸隠山の麓にあり、戸隠神社の御本社です。天照大神が天の岩屋に隠れた時、無双の神力をもって、天の岩戸を開いたという天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀っています。
戸隠神社奥社

 中社から奥社に行くには2km以上、参道を歩かなければなりません。杉並木が延々と続きます。自分が小さくなったと錯覚しそうです。これらの杉は長野県の天然記念物に指定されています。
戸隠神社奥社
 歴史の風情を感じさせる藁葺き屋根の「随神門」は左右に右大臣・左大臣が控えています。積雪の時期は随神門で祈念参拝される方も多いそうです。屋根には草が生えて独特の雰囲気を出しています。
戸隠神社奥社随神門
 奥社まではるかに続く杉並木。樹齢400年。300本のクマスギが私達を別世界へと誘います。吉永小百合さんのJRの宣伝で訪れる人が驚くほど増えました。往復1時間少しの森林浴を楽しめます。
戸隠神社奥社
 鎌倉・室町時代は有数の修驗霊場として山岳信仰の聖地で、修験道場跡が残されています。戦国時代、戸隠神社の境内が越後と信濃をつなぐ要地にありました。川中島の戦いでは諜報の交差する場所でもありました。
戸隠神社奥社
 天照大神が天の岩戸に隠れたことを知った神々は、大神が隠れた岩戸の前に集い神楽を催して大神の気を惹こうとしました。一方、天照大神も外の様子が気になり、岩戸をそっと開けたところ、その瞬間を待ち受けていた手力雄命が、無双の怪力をもって天の岩戸をこじ開いたそうです。
戸隠神社奥社
 そのとき、命によって開かれた岩戸は遥か遠くまで飛ばされ戸隠の山に落ちたといいます。九州の高千穂から遠く信濃の奥戸隠まで飛ばしたというのです。
戸隠神社奥社
 奥の院の鳥居から石段を下がった左側には戸隠の氏神である「九頭龍大神」の院があります。
 奥院本殿では戸隠講の方が参拝され御祓いを受けていました。院の下には奥社社務所があり戸隠神社の宮司さんが交代でお守りしています。
戸隠神社奥社


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