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信州長野の旅と歴史
信州の旅        長野市

善光寺
ぜんこうじ
長野県長野市元善町491
Tel 026-234-3591


 定額山善光寺は5万9000平方mの境内に、天台宗大本山の大勧進、浄土宗大本山の大本願と39の塔頭からなる大寺院です。「牛にひかれて善光寺参り」で全国的に知られ、年間約600万人もの参拝者が訪れます。
 推古天皇10年(602)に信州麻績の里(現在の飯田市座光寺)の住人、本多善光が難波の堀から一光三尊の御本尊を見つけ祀りました(元善光寺)。その後皇極天皇元年(642)に、その御本尊は現在の長野市へ遷座され、善光の名をとって「善光寺」と名づけられたのでした。
 本尊は、一光三尊阿弥陀如来立像という秘仏です。中央に阿弥陀仏、右に観音像、左に勢至像が立ち、この三尊が一つの光背におさまっているところから一光三尊仏といわれ、善光寺如来型式、善光寺仏型式とも呼ばれています。御本尊の分身である前立ち本尊が、阿弥陀如来および両脇侍立像で、7年に1度御開帳されます。


仁王門(二王門)
におうもん
 現在の善光寺の仁王門は、大正7年(1918)に建立された3代目です。初代の仁王門は、宝歴2年(1752)に建立されましたが、弘化4年(1847)の地震で焼けました。
善光寺仁王門
 2代目は、元治元年(1864)再建されましたが明治24年(1891)の火災で焼失しました。掲げられている山号の扁額「定額山(じょうがくざん)」は、伏見宮貞愛親王の筆となります。 
善光寺仁王門
 仁王門の高さは13mです。左右の仁王尊や背面の三宝荒神・三面大黒天像は高村光雲・米原雲海両氏の合作による傑作です。
善光寺仁王門


大本願
だいほんがん
 大本願は浄土宗の大本山で、尼僧寺院です。代々の大本願住職、尼公上人が善光寺上人として、その伝統を継承してきました。内部は本堂の本誓殿はじめ寿光殿、奥書院、表書院、光明閣、明照殿、宝物館などあります。
大本願
 入口には水子供養のお地蔵様が建っています。ここのご住職は代々尼公上人さんがなり、皇室関係からご入山されています。江戸時代、慶長6年(1601)徳川家康によって大本願を歴代住職とし、大勧進は経理面を担当するように制度化されてきています。
大本願


仲見世から山門
 仁王門から山門までの間の約100mは、仲見世通りと呼ばれ、善光寺参道のメインストリートです。お土産物屋、そば屋、まんじゅう屋、仏具屋、信州特産品屋、写真屋、旅館など約60店ものお店がひしめきあっています。
仲見世通り
 野沢菜のソフトクリームや、リンゴのソフトクリーム、善光寺そばまんじゅう、特産のおやきなど頬張ることができます。縁起物や数珠、仏具などはもちろん、信州特産の漬物や農産品など、参拝記念の、善光寺のおみやげもたくさん売られています。
仲見世通り


六地蔵と濡れ仏
 仲見世通りを過ぎて駒返り橋を渡り、山門に向かう途中の右側に六地蔵があります。六地蔵は宝暦9年(1759)に造られましたが、大戦で供出され、現在のものは昭和29年(1954)に再興されたものです。地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の六の世界が、迷いの世界を輪廻する道程に分けたものです。
六地蔵
 六地蔵の横に立つ大仏地蔵(ぬれ仏)は、江戸の大火を出した八百屋お七の冥福を祈り、吉三郎が建てたといわれています。この延命地蔵は母性を感じさせる面立ちで、子供の守り神として信奉されています。
ぬれ仏


山門(三門)
さんもん
 善光寺の山門(三門)は寛延3年(1750)に落成しました。高さ20m、間口20m、奥行8mです。檜皮葺(ひわだぶき)2層入母屋造りで、国の重要文化財に指定されています。
善光寺山門
 3畳分もの大額の「善光寺」の文字は、輪王寺宮・公澄(こうちょう)法親王の筆です。この字の中に鳩が5羽いる事から、「鳩字の額」と称されています。楼上には十一面観音・文殊菩薩・四天王の像が安置されています。
善光寺山門


大勧進
だいかんじん
 大勧進は天台宗大本山で善光寺25ヶ院の本坊として、大本願の上人と共に善光寺住職を兼ねています。 本堂の万善堂はじめ重寿殿、不動堂、位牌堂、紫雲閣、宝物殿、聖天堂などがあります。大勧進の住職(貫主)はいて、貫主は代々比叡山延暦寺より推挙される慣習になっています。
善光寺大勧進


善光寺本堂
ぜんこうじほんどう
 現在の本堂は、宝永4年(1707年)に建立されました。江戸時代中期を代表する寺院建築として国宝に指定されています。皇極天皇の時代(642)に創建されて以来12回目の建築です。
善光寺本堂
 四方に裳階をめぐらす大伽藍は、間口24m、高さ26m、奥行54mで、日本の国宝建造物のなかで東大寺大仏殿、三十三間堂に次ぐ規模です。屋根の檜皮葺面積は、約3600平方mで日本一です。内部は正面から外陣、内陣、内々陣に分かれています。
善光寺本堂
 外陣にはびんずる尊者、一番奥の内々陣には本尊如来が奉られています。木像を撫でて、自分の病む箇所をさわると病気や痛みが治るといわれています。
善光寺本堂
 本堂の構造は上から見ると棟の形が鐘などを叩く撞木の形(T字型)になっており、撞木造りと呼ばれています。
善光寺本堂
 入口から外陣、内陣、内々陣に分かれており、Tの字の─の部分が本尊を祀る金堂(内々陣)で、│の部分が礼堂(内陣、外陣)です。
善光寺本堂
 内々陣の本尊を祠る瑠璃壇は、高床式でお戒壇巡りを可能にしています。
 本堂前の4本の柱には、弘化4年(1847)の善光寺大地震による「ねじれ」が見られ、「地震柱」と呼ばれています。
善光寺本堂


善光寺経蔵
 善光寺の経蔵は国の重要文化財に指定されています。宝暦9年(1759)に落成しています。内部は石敷きで8角形の回転式の輪蔵があり、元禄7年(1694)寄進の鉄眼黄檗版一切経が納められています。
善光寺経蔵


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