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信州長野の旅と歴史
信州の旅        上高井郡小布施町

岩松院
がんしょういん
長野県上高井郡小布施町雁田615
Tel 026-247-5504


 雁田山の自然に囲まれた梅洞山岩松院は文明4年(1472)に開山された曹洞宗のお寺です。開基は雁田(かりだ)城主、荻野備後守常倫、開山は不琢玄珪禅師です。
 戦国の武将福島正則や葛飾北斎、俳人小林一茶ゆかりの古寺でもあり、境内には福島正則の霊廟や、蛙合戦の池、庫裡・鐘楼・坐禅堂・総ひのき造りの仁王門があります。 
 岩松院は一時衰退しましたが元和5年(1619)に高井郡4万5千石(内2万5千石は越後魚沼郡)に減封となった福島正則が自らの菩提寺として中興しました。

大鳳凰図
 本堂の大間には21畳敷もある大きさの天井絵があります。葛飾北斎最晩年の大作「大鳳凰図」です。八方睨みの鳳凰ともいわれ、完成したのは、今から150年以上昔の弘化5年(1848)、北斎は89歳の時でした。金箔を4400枚使用して150両の価値があったそうです。
大鳳凰図
 150年以上を経た現在も、スケールの大きな極彩色の絵は見るものを圧倒させます。植物性の岩絵具で、中国より長崎商人の手を経て輸入した辰砂(しんしゃ)、孔雀石、鶏冠石などの鉱石を使っています。
大鳳凰図

蛙合戦の池
 裏庭の池は、桜が満開の頃、何百というヒキガエルが集まって求愛するかえる合戦が有名です。雌が産卵するのを雄が手伝うのですが、雌が少ないので奪い合いになって合戦になるのだそうです。
蛙合戦の池
 小林一茶が詠んだ有名な
  痩せがへるまけるな一茶是に有
(やせがえる まけるな一茶 これにあり)の石碑も建っています。
蛙合戦の池

福島正則霊廟
 岩松院には豊臣秀吉の重臣で賤ヶ岳の七本槍で有名な福島正則の霊廟もあります。正則は寛永元年(1624)享年64歳で他界しました。遺品類も保存されています。
福島正則霊廟
 正則は関ヶ原の戦いでは東軍の徳川に加わって勇名をはせ、広島50万石の大大名になりましたが、幕府の謀略により元和5年(1619)わずか4万5千石の信越地方に国替えさせられてしまいました。
福島正則霊廟


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