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信州長野の旅と歴史
信州の旅        大町市

若一王子神社
にゃくいちおうじじんじゃ
長野県大町市大町俵町2097
Tel 0261-22-1626


 若一王子神社の創建は垂仁天皇の時代に国主の仁品王(にしなのきみ)が伊弉冉尊(いざなみのみこと)を奉祀し、一祠を建てたのが始まりと伝えられています。その後、仁品王の後裔の仁科氏が白鳳期に、仁品王と妹耶姫(いもやひめ)を合祀しました。
 鎌倉時代の承久2年(1220)、仁科次郎盛遠が紀伊国の熊野神社から若一王子神を勧請し、永和3年(1377)には仁科盛国が本殿を再建し、弘治2年(1556)にも仁科盛康によって再建されました。
 天正10年(1582)、信玄の5男で仁科家を継いだ仁科五郎信盛が織田信忠により高遠で滅ぼされ、5百年におよぶ仁科家は滅亡しました。江戸時代に入ると松本藩から庇護され承応3年(1654)に社殿の大改修が行われ、明暦元年(1655)には幕府神領として2石5斗4合を与えられています。
 承応3年(1654)に行われた修理では、大町市の棟梁・金原周防守定兼によってほとんどが解体修理されたそうです。屋根の破風に着けられた鬼面や向拝上部にある組物、彩色が多く用いられている点など、非常に珍しく特色のある社殿といわれている。
 若一王子神社には古くからの神仏混合の形が残されています。拝殿、神楽殿、額殿、松尾社、鹿島社などがあり、神仏分離令後も境内には観音堂や三重塔などが残されています。また、毎年7月下旬に古式豊かな流鏑馬神事が行われます。承久3年(1211)、仁科次郎盛遠が後鳥羽上皇の院宣を奉じ、将兵を集めるため社前で行なったのが始まりといわれています。

 若一王子神社の観音堂は宝永3年(1706)社記 大工 金原又七・作助によって建てられました。方三間、寄棟造り、草葺き、一間向拝付きで、大町市の文化財に指定されています。中には厨子が納められており、木鼻彫刻や蟇股には古い地方様式の名残りがあるそうです。
若一王子神社観音堂
 若一王子神社の三重塔は、県宝に指定されており、宝永8年(1711)、金原又七・作助により建立されました。方三間、柿葺きで初重の蟇股に施された彫刻は、方位に合わせて十二支の動物が表されています。二重垂木に三手先の肘木が迫り出しています。純粋な和様建築で素木造りの重厚な建築です。
若一王子神社三重塔
 本殿は弘治2年(1556)に棟梁の金原周防守定兼・五左衛門によって再建されたものです。一間社、隅木入春日造りの檜皮葺きです。室町時代末期の神社本殿建築の遺構として貴重な存在で昭和30年(1955)に国の重要文化財に指定されています。
若一王子神社本殿
 若一王子神社社叢(しゃそう)が長野県指定天然記念物に指定されています。樹齢400年の杉の神木のほか、400本近くの大小の杉や桧などの立木がうっそうと茂っています。
若一王子神社社叢


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