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信州長野の旅と歴史
信州の旅        佐久市

西念寺
さいねんじ
長野県佐久市岩村田本町1188
Tel 0267-67-2378


 一行山西念寺は浄土宗の名刹で岩村田商店街の近くにあります。旧小諸藩主・仙石秀久、旧岩村田藩主・内藤美濃守正国の菩提寺で墓所があります。また江戸中期の国学者、吉沢鶏山の墓と句碑があります。
 弘治元年(1555)、岌往(きゅうおう)上人が十王堂と呼ばれるところで浄土宗の布教を始めましたが、他宗の迫害にあい他国へ追われました。永禄3年(1560)、檀徒が資金を出し合い本堂を建立し、上人を迎え入れたのが西念寺の始まりと伝えられています。
 西念寺は小諸藩主・仙石秀久から崇敬され、登城の折には第一の座を与えられたそうです。文禄年間(1592-1596)に堂宇の修築や境内の整備を行い、自らの菩提寺としました。3世の惠頓は慶長元年(1596)仙石秀久の母の死に際し、導師を務め、4世の岌圓は慶長19年(1614)、秀久の葬儀の導師を務めました。
 元禄16年(1703)に岩村田藩が立藩すると藩主である内藤家の菩提寺となり寺運も隆盛しました。寛永年間(1748-1751)に再建された本堂、山門、楼門などの諸堂が整備されました。

 小諸藩初代藩主でのちに上田藩主となった仙石権兵衛秀久の墓です。豊臣秀吉の最古参の家臣で、戸次川の戦いで独断専行で、島津軍に大敗を喫し改易されました。小田原の役で挽回し大名に返り咲いた数少ない武将で、石川五右衛門を捕縛したとの伝説もある人物です。秀久の墓の左には秀久の弟の政直の墓があります。素行が悪く西念寺に預けられていたそうです。
仙石秀久墓所
 庭の左奥に藤棚があり、その下に吉沢鶏山(清右衛門)の句碑があります。
「籬(まがき)などいふがくどさに野菊かな」
 鶏山は岩村田の古い歴史を今に伝える「四隣譚藪(しりんだんそう)」という書物を著しています。
吉沢鶏山句碑


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