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信州長野の旅と歴史
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新海三社神社
しんかいさんしゃじんじゃ
長野県佐久市田口宮代2394
Tel 0267-82-9651


 新海三社神社は創建ははっきりしませんが佐久郡3庄16郷の総社として崇められてきた大社であり、一の宮などと称されました。「興波岐命」(おきはぎのみこと)を祭神として祀っています。
 「興波岐命」の父親が「建御名方命」(ためみなかたのみこと)といい、出雲の大国主大神の子にあたります。建御名方命は信州諏訪に移り住み、興波岐命は佐久に住み着いたのでした。
 新海三社神社では、佐久地方開拓の祖神で興波岐命と諏訪さまと呼ばれた建御名方命、恵比寿さまと呼ばれた事代主命、八幡さまの誉田別命の4神をも祀っています。古来より源、足利、田口、武田、徳川、大給氏などの武将をはじめ人々の崇敬あつく社領寄進・神殿修理再建が行われました。
 特に源頼朝は源氏の祖神「誉田別命」を深く崇拝しました。甲斐源氏の流れをくむ武田信玄も永禄8年(1565)上州箕輪城攻略の際、戦勝祈願文を奉り勝利をおさめました。
 樹齢数百年の老樹が茂る6万6千平方mの広大な新海三社神社の社域には、東本社、西本社、中本社、神楽殿、三重塔などが建立しています。

新海三社神社三重塔
 新海三社神社の三重塔は新海三社神社の神宮寺の塔として建立されました。風澤の銘により永正12年(1515)の建立と考えられています。様式は和様を主としながらも禅宗様も取り入れられています。東本社とともに国の重要文化財に指定されています。
新海三社神社三重塔
 塔は塔婆の略で、本来仏教的構造物であり、神社にあるのは不思議です。わが国には神仏習合という長い歴史があり、新海神社にも神宮寺があり、神宮寺の塔としてこの地に三重塔が建立されたようです。
新海三社神社三重塔
 明治維新の際、神仏分離令の発布により、神宮寺は川原宿という場所に移されました。この三重塔は、神社の宝物庫という名目で、現位置にそのまま残され破却をまぬがれました。
新海三社神社三重塔

新海三社神社東本社
 新海三社神社の東本社は室町時代の建築と推察されています。祭神は佐久地方開拓の祖神として崇敬された興波伎命です。三重塔とともに国の重要文化財に指定されています。
新海三社神社東本社
 向拝頭貫(ごはいがしらぬき)の木鼻が動物形を意図していること、母屋(おもや)頭貫の左右の木鼻に笹の葉の薄肉彫りがあるところなどに特徴がみられます。海老虹梁や蓑束などから室町中期に建てられたと推定されています。
新海三社神社東本社


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