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信州長野の旅と歴史
信州の旅        諏訪郡下諏訪町

諏訪大社下社秋宮
すわたいしゃしもしゃあきみや
長野県諏訪郡下諏訪町5828
Tel 0266-27-8035


  諏訪大社は、お諏訪様と呼ばれ、全国に1万余の御分社を持つ諏訪神社の総本社です。諏訪湖南北に2社4宮(上社本宮、上社前宮、下社秋宮、春宮)が鎮座し、日本最古の神社の一つといわれています。本殿をもたない諏訪造りと呼ばれる建築様式で建てられています。
 上社は男神の建御名方富命(たけみなかたのみこと)を、下社はその妻の女神・八坂刀売命(やさかとめのみこと)を主祭神としています。孝徳天皇8年(652)、持統5年(691)、大宝3年(703)に朝廷より勅使が派遣されています。承和9年(842)には従五位下、貞観9年(867)に従一位、天慶3年(940)に正一位を賜り、延喜式神名帳には名神大社と書かれ信濃国一之宮となりました。
 諏訪大社では木や石などに降りる精霊として、ミシャクジ神を祀っていました。奉祀する神職の最高位を大祝と呼び、上社の大祝「諏訪氏」は祭神の子孫として、下社の大祝(おおほうり)金刺氏は皇族の子孫としていました。 平安時代後期、諏訪・金刺の両氏が武力を持って大きな勢力となりました。祀られていた神もミシャクジから、上社は建御名方命、下社は八坂刀売命になりました。
 その後、金刺氏は戦国時代に入り滅亡し、上社の諏訪頼重は武田氏に滅ばされます。天正10年(1582)、織田信忠が5万の兵でと武田勝頼を攻めました。高遠城攻防で兵火は諏訪まで及び多くの社殿、社宝が灰塵に帰しました。
 徳川幕府から庇護され、下社には500石の神領が安堵されました。高島藩主・諏訪頼水などにも崇敬されました。頼水の父・頼忠は諏訪氏直系で武田氏に滅ばされた諏訪頼重の従兄弟に当たります。明治初頭の神仏分離令と廃仏毀釈により仏式が除かれ、現在に至っています。  
 諏訪湖周辺にある4つの諏訪大社のなかで、もっともにぎわいをみせるのが、諏訪大社下社秋宮です。旧中山道と甲州街道の分岐点にあり、下諏訪宿が開かれると多くの信者、旅人が参拝に訪れ社運も隆盛し、温泉が湧き出たことで湯治客も多く集まりました。
 下社は春宮と秋宮の2社に分かれています。下社の祭神である八坂刀売命は、2月から7月まで春宮に鎮座し、8月1日の御舟祭りで秋宮に遷座し、翌2月1日に春宮に帰座されるといわれています。つまり夏は春宮に、冬は秋宮に住まわれるのです。
 諏訪大社下社秋宮には本殿がありません。ご神体は拝殿・御宝殿の奥のご神木「一位の木」です。拝殿中央に「御神鏡」が祀られています。ここには、日本一大きい青銅製の狛犬や注連縄があります。また宝物殿には国の重要文化財の売神祝印ほか多くの貴重な宝物資料があります。
 拝殿に向かって右側、一の御柱の奥のお社は、手前が稲荷社、真ん中がお諏訪さまの御子神を祀る若宮社、奥が皇大神宮社です。左側二の御柱近くにあるお社は、右から八坂社、加茂上下社、子安社及び鹿島社です。
 秋宮の社殿は諏訪出身の宮大工立川和四郎初代富棟が手掛け、安永10年(1781)に完成しました。幣拝殿、左片拝殿、右片拝殿、神楽殿が国の重要文化財に指定されています。

諏訪大社下社秋宮神楽殿(国重文)
 諏訪大社下社秋宮の神楽殿は天保6年(1835)に立川流2代目の富昌の手によって建てられた社殿です。前面に提げられている注連縄は、重さが1トンもあるそうです。間口5間、奥行3間、1重、三方切妻造り、妻入、銅板葺きです。
諏訪大社下社秋宮神楽殿
 前方が妻入りの切妻で、後方が平入りの切妻のため、 棟全体がT字型の撞木造りで、三方切妻造りと呼ばれています。全体が素木で、彫刻や彩色などが使われていません。質素で比較的簡素な造りとなっています。神楽殿は昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されています。
諏訪大社下社秋宮神楽殿

諏訪大社下社秋宮幣拝殿(国重文)
 諏訪大社下社秋宮の幣拝殿は神楽殿の奥にあり、安永10年(1781)に初代・立川和四郎富棟により完成されました。間口1間、奥行2間、楼造り、切妻造り、正面軒唐破風付、銅板葺きです。左右の建物は片拝殿で、奥にはお宝殿があります。
諏訪大社下社秋宮幣拝殿
 幣拝殿は、諏訪大社独特な門と拝殿を兼ねた形式になっています。上社本宮の幣拝殿と比べると、上社では拝殿の後方に別構造の門が建つのに対し、下社秋宮・春宮では、総2階建になっています。全体が欅の素木造りで、彫刻が数多く施されています。幣拝殿は、昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されています。
諏訪大社下社秋宮幣拝殿

諏訪大社下社秋宮右片拝殿(国重文)
 諏訪大社下社秋宮の右片拝殿は幣拝殿の向かって左脇に建てられています。間口5間、奥行2間、1重、切妻造り、銅板葺きです。彫刻を全く使わない簡素な廊形式で、昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されています。
諏訪大社下社秋宮右片拝殿

諏訪大社下社秋宮左片拝殿幣(国重文)
 諏訪大社下社秋宮の左片拝殿幣は幣拝殿の向かって右脇に建てられています。間口5間、奥行2間、1重、切妻造り、銅板葺きです。彫刻を全く使わない簡素な廊形式で、昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されています。
諏訪大社下社秋宮左片拝殿

諏訪大社下社秋宮子安社
 子安社はお諏訪さまの御母神である高志沼河比売命(こしのぬなかわひめ)をお祀りしており、昔からお産の守り神と親しまれています。底の抜けた柄杓は、水がつかえず軽く出るように、お産も楽にすむようにと、安産を願い、また安産のお礼に奉納されたものです。
諏訪大社下社秋宮子安社

諏訪大社下社秋宮根入りの杉
 諏訪大社下社秋宮の鳥居をくぐると正面に根入りの杉といわれる杉がそびえています。高さ約35mの大木で、大社の御神木の一つで樹齢は約800年といわれています。この杉の巨木は夜になるとイビキが聞こえるといわれています。また、この杉の木の落葉を煎じて子供に飲ませると、子供の夜泣きが止まる、皮を使った御守りを持たせると、夜泣きする子供がよく眠れるようになるなど、様々な伝承があり、下社7不思議の1つに数えられています。
根入りの杉
 昔から国家に変事がある時は唸りを発するともいわれています。この巨樹は夜には特に枝を下げ、布団を掛けて静かに寝ている様にも見えるので「寝入りの杉」だとか、杉の挿木に根が生えたものなので「根入りの杉」などと呼ばれているそうです。
根入りの杉


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