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信州長野の旅と歴史
信州の旅        諏訪郡下諏訪町

諏訪大社下社春宮
すわたいしゃしもしゃはるみや
長野県諏訪郡下諏訪町大門193
Tel 0266-27-8316


 諏訪大社は全国に1万余の御分社を持つ諏訪神社の総本社です。諏訪湖南北に2社4宮(上社本宮、上社前宮、下社秋宮、春宮)が鎮座し、日本最古の神社の一つといわれています。
 上社は男神の建御名方富命(たけみなかたのみこと)を、下社はその妻の女神・八坂刀売命(やさかとめのみこと)を主祭神としています。天慶3年(940)に正一位を賜り、延喜式神名帳には名神大社と書かれ信濃国一之宮となりました。
 室町時代に上社と下社の間に騒乱があり、多くの社殿、社宝など焼失し、天正10年(1582)、織田が武田を攻めた高遠城攻防で兵火は諏訪まで及び多くの社殿、社宝が灰塵に帰しました。 江戸時代に入ると幕府が庇護し下社には500石の神領が安堵され、社殿も随時再建されました。
 7年毎、寅と申の年に樅を山中から切り出し、神木を建てる諏訪大社式年造営御柱大祭があります。この御柱祭(おんばしら)は巨木を人力のみで曳き、各お宮の四隅に建てるという勇壮なもので、毎回20万人以上が訪れます。
 諏訪大社下社春宮の社殿は秋宮と、1キロほど離れています。春宮と秋宮の間では、毎年2月1日と8月1日に遷座祭が行われています。神様は2月から7月までは春宮に来られるのです。

諏訪大社下社春宮下馬橋
 大門通りからまっすぐ伸びる参道(車道)の途中に太鼓橋の下馬橋があります。室町時代の建立で、元文元年(1736)改修され、下社では最も古い建物です。下乗下馬といわれこれより中は殿様でも籠や馬から降りなければならない場所でした。
諏訪大社下社春宮下馬橋
 下馬橋は間口5間、奥行1間、切妻造り、妻入、銅板葺きです。現在この橋を通ることができるのは1年に2度の神行行事の神様がお乗りなった神輿だけとなっています。下馬橋は下諏訪町の文化財に指定されています。
諏訪大社下社春宮下馬橋

諏訪大社下社春宮幣拝殿(国重文)
 秋宮より小ぶりの神楽殿の奥に、諏訪大社下社春宮の幣拝殿があり、瑞垣内に宝殿2棟があります。拝幣殿は安永8年(1779)竣工の柴宮長左衛門の名建築で、昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されています。
諏訪大社下社春宮幣拝殿
 間口1間、奥行2間、楼造り、切妻造り、正面軒唐破風付、銅板葺きです。左右に片拝殿がつながっています。秋宮の幣拝殿とほとんど同じ形式の建築ですが、素木造りで色彩などは施されていません。
諏訪大社下社春宮幣拝殿

諏訪大社下社春宮右片拝殿(国重文)
 諏訪大社下社春宮の右片拝殿は幣拝殿の向かって左脇に建てられています。間口5間、奥行1間、1重、片流招屋根付、切妻造り、銅板葺きです。昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されています。
諏訪大社下社春宮右片拝殿

諏訪大社下社春宮左片拝殿(国重文)
 諏訪大社下社春宮の左片拝殿は幣拝殿の向かって右脇に建てられています。間口5間、奥行1間、1重、片流招屋根付、切妻造り、銅板葺きです。昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されています。
諏訪大社下社春宮左片拝殿

諏訪大社下社春宮筒粥殿
 「筒粥殿」という建物があります。毎年、1月14日の夜から、15日の早朝にかけて「筒粥神事」という独特の行事を行います。神職がその建物の中心にあるいろりを囲み、44本の葦筒を、米と小豆を混ぜた粥と一緒に一晩掛かって炊きこみ、葦筒44本のうち43本でその年の作物の豊凶を、残りの一本で世の中全般を占うものです。
諏訪大社下社春宮筒粥殿


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