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信州長野の旅と歴史
信州の旅        下諏訪町

慈雲寺
じうんじ
長野県諏訪郡下諏訪町東町中606
Tel 0266-27-8171


 白華山慈雲寺は臨済宗妙心寺派の古刹です。正安2年(1300)、建長寺や円覚寺の住職を歴任したことで有名な一山一寧禅師という宋の僧が開山したと伝えられています。信州禅宗寺院の触頭という格式が与えられていました。触頭とは諸願いの取次ぎなどを行うリーダー的なお寺です。
 慈雲寺は鎌倉五山、京都五山の住職を歴任する高僧の住職が続き、五山に並ぶ寺格を持つといわれ、繁栄しました。戦国時代は武田信玄に庇護されました。慈雲寺中興の祖といわれる天桂和尚は特に尊敬されました。
 高島藩2代藩主・諏訪忠恒(ただつね)に請われ、寛永17年(1640)、慈雲寺の泰嶺和尚は招聘され、諏訪家の菩提寺・温泉寺の開基となっています。慈雲寺には長野県宝の梵鐘をはじめ、町指定有形文化財の本堂、山門、阿弥陀如来立像、日根野高吉供養塔があり、天桂松は町の天然記念物に指定されています。

慈雲寺梵鐘(長野県宝)
 慈雲寺の梵鐘は南北朝時代の応安元年(1368)に鋳造されたもので、諏訪大社下社大祝(おおほうり)の金刺豊久によって造られました。総高114cm、口径66.4cmで、形、音銘ともに優れています。昭和45年(1970)に長野県の県宝に指定されています。
慈雲寺梵鐘

慈雲寺山門
 慈雲寺の山門は間口3間(5.64m)、奥行2間(3.76m)、入母屋造り、銅板葺き(元は檜皮葺き)の三間一戸、八脚鐘楼門です。江戸時代中期の安永6年(1777)に大隅流の棟梁・村田長左衛門矩重により建てられています。昭和46年(1971)に下諏訪町の有形文化財に指定されています。
慈雲寺山門

慈雲寺本堂
 慈雲寺の本堂は江戸時代後期の文化3年(1806)に火災に遭い焼失しました。現在の本堂は文化5年(1808)に玄関、庫裏とともに再建された建物です。間口10間半、奥行7間半、木造平屋建て、入母屋造り、平入で屋根は銅板葺きです。周囲に板縁を回し、内陣には臨済宗特有の通し須弥壇が付けられています。内陣欄間には武田菱の彫刻が付けられています。
慈雲寺本堂
 棟梁は上諏訪湯の脇の上原市蔵正房で、立川流初代の立川和四郎富棟の一番弟子です。平成14年(2002)に下諏訪町の有形文化財に指定されています。本堂に安置されてる阿弥陀如来立像も下諏訪町指定文化財で、文化4年(1807)に木喰明満仙人が諏訪地方で最後に彫刻したという像高112cmの木喰仏です。
慈雲寺本堂

日根野高吉供養塔
 日根野高吉供養塔は子の日根野嘉明が父の50回忌の追善供養のために建立した塔です。諏訪にある五輪塔の中で最も大きなものです。日根野高吉は豊臣秀吉の家臣で、天正18年(1590)に諏訪に入封し、高島城を築いた武将です。供養塔は昭和45年(1970)に下諏訪町の有形文化財に指定されています。
日根野高吉供養塔

慈雲寺天桂松
 慈雲寺境内にある「慈雲寺天桂松(てんけいまつ)」は中興開山した天桂和尚が手植えしたと伝えられる古木です。樹高4.5m、根回り1.5m、推定樹齢400年以上の立派な松です。昭和47年(1972)に下諏訪町の天然記念物に指定されています。
慈雲寺天桂松

慈雲寺型石灯呂
 境内に慈雲寺型石灯呂が造られています。現在採石が禁止されている三銘石(奈良石・白川石・本御影石)の奈良石を、特別な許可を得て採石し使用しています。ノミギリ石ノミ・石頭(カナヅチ)を使い手彫りしています。
慈雲寺型石灯呂

海印寺高麗形創作灯篭
 海印寺高麗形創作灯篭は日本で最も古い春日大社にある灯篭の一つ「柚ノ木形」の源流と思われるものです。海印寺は韓国で最も古い寺の一つで、八万大蔵経の保存で有名です。基礎の格狭間は飛鳥・奈良時代の手法、蓮弁は、素弁の古い形式です。竿は中節がないのが韓国式、火袋は、正面のみ四角窓になっています。
海印寺高麗形創作灯篭


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