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信州長野の旅と歴史
信州の旅        諏訪市

足長神社
あしながじんじゃ
長野県諏訪市四賀足長山5386


 足長神社は古代から崇敬され、祭神の足摩乳(あしなづち)神は上桑原村の産土神として信仰されてきました。当初は夫婦神とされる手長神社も祀られていましたが、下桑原村に遷座しています。
 平安時代初期の大同年間(806-810)に諏訪神社上社大祝の始祖である御表衣祝有員(みそぎほうりありかず)が足長神社を崇敬し、広大な社殿を造営しました。以後、足長神社は諏訪大社の末社になり、諏訪上社の御柱祭に足長神社が奉納しています。

足長神社拝殿
 足長神社の拝殿は江戸時代後期の天保13年(1842)に大隅流の矢崎専司らにより建てられています。木造平屋建て、間口1間(3.8m)、奥行2間(3.1m)の五棟造り(正面に千鳥破風、軒唐破風が付いた切妻造り)、平入の社殿です。
足長神社拝殿
 木鼻に唐獅子、欄間に龍、鷹、鶴、脇障子に麒麟、鳳凰などの繊細な彫刻が施されています。江戸時代後期の社殿建築の遺構として貴重な建物で、昭和63年(1988)に諏訪市の有形文化財に指定されています。
足長神社拝殿

足長神社本殿
 足長神社の本殿は一間社流造り、銅板葺き(元こけら葺き)です。拝殿より一段高い所にあり、渡廊で結ばれています。社額裏面の墨書から江戸時代中期の延享4年(1747)頃に再建されたと思われます。平成6年(1994)に諏訪市の有形文化財に指定されています。
足長神社本殿

足長神社舞屋
 足長神社の舞屋(神楽殿)は間口5.7間(10.3m)、梁間3.5間(6.4m)、木造平屋建て、入母屋造り、銅板葺きの建物です。江戸時代後期の文久2年(1862)に棟梁の石田房吉らにより建てられています。
足長神社舞屋
 正面開口部上に大きな虹梁(こうりょう)を渡し、その上に龍・漠(ばく)などの彫刻を施しています。木鼻には獅子が彫られています。昭和63年(1988)に諏訪市の有形文化財に指定されています。
足長神社舞屋


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