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信州長野の旅と歴史
信州の旅        諏訪市

手長神社
てながじんじゃ
長野県諏訪市茶臼山9556


 手長神社は茶臼山にあります。足長神社とともに桑原村の総鎮守でしたが、上桑原と下桑原に分かれた時、下桑原の産土神として遷座し、手摩乳命を祭神としています。足長神社と同じく諏訪大社上社の末社でもあります。
 天正19年(1591)に高島城が築かれると手長神社は城の北東にあたり、城の鬼門除けとして歴代城主に崇敬され、広い社領が安堵されました。例祭で奉納される八朔相撲には各地から有力力士が集まり、諏訪大社上社の十五夜相撲、田沢稲荷の二百十日相撲と共に諏訪三辻に数えられました。
 手長神社は古くから神仏習合し「手長宮」、「手長大明神」などと呼ばれました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃されています。明治5年(1872)に村社、明治32年(1899)に郷社、大正13年(1924)に県社に列しています。

手長神社拝殿
 手長神社の拝殿は天明8年(1788)に諏訪の大工・立川和四郎富棟が棟梁になり建てられています。間口2間、奥行1間、木造平屋建て、入母屋造り、平入、銅板葺きで、外壁は真壁造り板張りになっています。欅の木目を活かした重厚な建物です。
手長神社拝殿
 正面には軒唐破風があり、細部に唐獅子、龍などの彫刻が施されています。また拝殿の左右には間口2間、奥行1間の片拝殿が付けられています。手長神社の拝殿は昭和59年(1984)に諏訪市の有形文化財に指定されています。
手長神社拝殿

手長神社末社弥栄神社
 手長神社の末社の弥栄神社は銅板葺きの一間社流造りで、手長神社本殿であった社殿です。宝永6年(1709)に大隅流の伊藤庄左衛門が棟梁になり建てられています。昭和8年(1933)に本殿から弥栄神社になっています。弥栄神社は平成6年(1994)に諏訪市の有形文化財に指定されています。
弥栄神社

手長の森
 手長神社の境内は神域だったため、大欅13本を中心に、スギ、サワラ、ヒノキ、イチョウ、コブシ、ウワミズザクラ、オオモミジなど30種、400本余りの樹木に覆われています。「手長の森」と呼ばれ平成元年(1989)に諏訪市の天然記念物に指定されています。
手長の森

延命杉
 延命杉は樹齢500年の御神木です。
 「心平穏に天つ御空乃梢を仰ぎ
   三度深く息すれば
       生命延ぶといふな里」
延命杉


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