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信州長野の旅と歴史
信州の旅        北佐久郡立科町

津金寺
つがねじ
長野県北佐久郡立科町大字山部279
Tel 0267-56-0505


 慧日山(えにちざん)津金寺は比叡山延暦寺を本山としている天台宗の古刹です。「津金寺由来記」によると、大宝2年(702)東山道を通って信濃入りした奈良薬師寺の僧行基が、戸隠権現の霊験により聖観音を安置し津金寺を開いたと伝えています。
 津金寺は天台宗信濃五山の一つで、日本で現在確認されている天台宗の最古の「談義所(学問寺)」 で建治2年(1276)に開かれています。津金寺は永禄4年(1561)の川中島の合戦の際、住職善海をはじめ衆徒が武田信玄に味方したことから、寺領1000石の朱印状が与えられました。
 末寺48ヶ寺を持つ大寺でしたが、天正10年(1582)の織田信長の兵火で焼け、天正14年(1586)に再建されました。津金寺の寺紋は武田菱で、信玄が比叡山正覚院に帰依する際、再び天台宗の寺院となりました。それらに関する信玄の文書2通が、今も寺宝として保存されています。
 津金寺はカタクリの花でも有名で、寺一帯は県郷土環境保全地域に指定されています。お寺の山にカタクリの自生地があり、ケヤキ、カエデなどの広葉樹林の斜面に紫色のかれんな花が咲きます。毎年4月には「かたくり野草まつり」が開かれ、大勢の人々が訪れます。

 津金寺妙見堂(みょうけんどう)は立科町の有形文化財に指定されています。天保7年(1836)に、諏訪の名工・立川流2代目の立川和四郎富昌(わしろうとみまさ)と茂田井の田中円蔵によって建てられました。富昌は諏訪大社上社本宮の拝殿・弊殿など多くを手掛けています。
津金寺妙見堂
 本殿の縁の下には兎・唐獅子・山羊・麒麟・犬など、階段下には鯉・千鳥などの彫刻が施されています。立川流の特色が最も表れているのは、向拝と母屋のつなぎに龍の彫刻を用い、軒唐破風内部に「打出の小槌」巾着袋などの「宝尽くし」の彫刻をいれていることです。
津金寺妙見堂
 津金寺の観音堂は正面・側面に円柱が4本立つ、方三間堂(ほうさんげんどう)という形式で、入母屋造り、銅板葺き(もとは茅葺き)です。向拝がなく、来迎柱を立てるなど、中世以来の形式ですが、柱が細長く、全体に背丈が高くなっている所は、近世の特色です。元禄15年(1702)再建されたもので、立科町の有形文化財に指定されています。
津金寺観音堂
 観音堂の天井は格天井(ごうてんじょう)で、松本藩水野家浪人の絵師によって宝暦3年(1753)に花鳥画が描かれています。堂内には3基の宮殿(くうでん)があり、中央が本尊を祀っています。この宮殿は全体が漆塗りされた華麗なもので、柱の上部にある朱塗りされた複雑な組物が目を引きます。
津金寺観音堂
 津金寺の阿弥陀堂は阿弥陀三尊像を祀っています。滅罪(めんざい)の道場で、主に追善法要が執り行われています。昭和56年(1981)に再建された新しい建物です。
津金寺阿弥陀堂
 津金寺の仁王門は、三間一戸、切妻造り、茅葺きの八脚門です。文化10年(1813)年に再建されたもので、諏訪の立川流の宮大工・上原市蔵と、茂田井の田中円蔵によって建てられました。寺の守りとして立つ仁王像は、戸隠の九頭龍権現の作といわれています。
津金寺仁王門
 滋野氏宝塔は長野県指定史跡です。滋野氏は、信濃16牧で最大だった望月牧を管理していました。3基の宝塔のうち、右側2基は滋野某夫妻が承久2年(1220)に建てた供養塔で、左側の1基は嘉禄3年(1227)に建立されたものです。
津金寺滋野氏宝塔


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