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新潟の旅と歴史
新潟の旅    新発田市

新発田城
しばたじょう
新潟県新発田市大手町6
Tel 0254-22- 3101


 新発田城は別名「あやめ城」とも呼ばれ桜の名所です。自衛隊の駐屯地にもなっています。新発田重家により築城されました。重家は謙信に仕えていました。景勝時代に織田信長に内通したことにより、天正15年、直江兼続によって攻められ落城し、重家は切腹しました。
 新発田藩、溝口秀勝が1598年に六万石を与えられて、この土地に今の新発田城を築いて400年余りになります。表門と旧二ノ丸隅櫓は国の重要文化財に指定されています。
 石垣が「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法で作られ、この城の美しさを際立たせています。県内で江戸時代の城郭の遺構が残っているのはこの新発田城だけだということです。
 城の表門前に堀部安兵衛の像があります。溝口秀勝の曾孫にあたります。安兵衛は、新発田藩二百石どりの武士である中山弥次右衛門を父とし、家老を務めたこともある溝口四郎兵衛の娘を母にもつという由緒正しい血筋でした。ところが、母は産後すぐ亡くなり、父は安兵衛が13才のとき、部下の火の不始末(実は陰謀だったようです)の責任をとり、家は断絶となってしまいました。
堀部安兵衛の像
 父没後、19歳の時江戸に出て、小石川牛天神の剣客堀内源左衛門に剣を学び、たちまち高弟随一に挙げられました。そしてそこで伊豫西條藩松平家臣菅野六郎左衛門と親交し、叔父甥の義盟を結びました。菅野と同僚村上庄左衛門と不和決闘のことが生じ、元禄7年2月11日安兵衛は義叔父の助勢をしました。 これが巷間に伝わる「高田馬場十六人斬り」です。この事件で一躍安兵衛の名が高まりました。
 赤穂藩江戸留守居役、堀部弥兵衛に養子にと八方手を尽くして請われ娘婿に入りました。「忠臣蔵」で有名なように大石内蔵助を中心とする四十七士の一員として吉良上野介への仇討ちに加わり、義父ともに本懐を遂げました。


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