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静岡の旅と歴史
静岡の旅       袋井市

可睡齋
かすいさい
静岡県袋井市久能2915−1
Tel 0538-42-2121


 萬松山(ばんしょうざん)可睡齋(かすいさい)は曹洞宗のお寺で、遠州三山の1つです。江戸時代には「東海大僧録」として三河国・遠江国・駿河国・伊豆国の曹洞宗寺院を支配下に収め、関三刹と同等の権威を持ちました。
 室町時代初期の応永8年(1401)、曹洞宗の開祖・道元の法孫、恕仲天ァ(にょちゅうてんぎん)禅師が東陽軒を開山しました。久能城主久能宗隆と、掛川藩主井伊直勝・直好が開基で名を連ねています。
 11世の仙麟等膳(せんりんとうぜん)は幼い家康を戦乱から救ったことがあり、後に浜松城主となった家康から報恩のために城に招かれました。その席上、家康の前で居眠りを始めたのです。その姿を見た家康は、和尚の安らかな親愛の心を悟り、和尚に「睡(ねむ)る可(べ)し」(睡っても無礼ではない)と言い「可睡和尚」といわれ、寺号も東洋軒から可睡斎と改めたそうです。駿河・遠江・伊豆・三河4ヶ国の僧録司(そうろくじ)となりました。
 可睡齋は福井の大本山永平寺と横浜の大本山總持寺を両大本山とし、總持寺の直末寺院です。聖観世音菩薩を本尊とし、仏祖単伝の正法に遵い只菅打坐(しかんたざ)、即心是仏(そくしんぜぶつ)を承当とする事を宗旨としています。
 只菅打坐とは静寂と研ぎ澄まされた緊張のなかで、坐禅に身を任せ、本当の自分にめぐりあう(邂逅)ことです。可睡齋には只菅打坐のための参禅修行の場があり希望に応じてもらえます。
 明治 6年(1873)に廃仏毀釈により秋葉山秋葉寺(あきばさんしゅうようじ)が廃寺となり取り壊される事になると、本尊の秋葉三尺坊が可睡斎に遷座されました。明治19年(1886)、有栖川宮幟仁(たるひと)親王により「秋葉総本殿」の勅額と菊の紋を賜り、秋葉総本殿可睡斎(あきばそうほんでんかすいさい)と称するようになりました。火防霊場となり、全国の火防守護の総本山になりました。
 10万坪という広い境内に本堂、書院、方丈、梵鐘、座禅堂、大黒堂、護国塔、御真殿、奥の院、弁天堂、放生池、出世六の字穴などがあります。花の寺としても有名で、春は牡丹、夏はサギ草、秋は菊と紅葉が堪能できます。

 本堂には可睡齋の本尊の聖観世音菩薩を正面の須弥壇に祀っています。
本堂
 御真殿は秋葉三尺坊大権現の御真体を祀っています。秋葉三尺坊大権現は、今から1300年前、越後蔵王権現堂の12坊の1つである三尺坊という僧坊で厳しい修行を重ねました。秘密奥義を極めて神通力を得、飛行自在の法力を得たそうです。衆生済度のため、失火延焼の難を逃すことを第一に、3大誓願をおこし火防の霊場を開いたそうです。
御真殿
 明治のはじめ、勝坂不動を可睡齋の奥の院へ遷座しました。不動明王は、大日如来が一切の悪魔を降伏せんがための使者となり、真言行者を守護するものといわれています。密教の五大明王の中尊像で、その功徳力は怨敵退散・災難即滅です。平成18年(2006)放火により奥の院は焼失し、現在は再建されています。
奥の院
 出世六の字穴と呼ばれる洞窟があります。家康は武田勢に追われて、このほら穴に隠れて命拾いしたそうです。天下人となった家康が出世の故事になぞらえて名付けたといわれています。六の字とは正観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、準胝観音、如意輪観音からきています。
出世六の字穴
 境内には掛川藩主 ・ 井伊直勝の墓があります。新しく掛川藩主になった井伊直好は、父・直勝が寛文22年(1662)7月に掛川城内で病死すると、父をこの可睡斎に葬りました。可睡斎は、直勝・直好親子を寺領寄進の功績があったということで、開基としています。
井伊直勝の墓


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