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静岡の旅と歴史
静岡の旅       浜松市中区

浜松城公園
はままつじょうこうえん
静岡県浜松市中区元城町100−2
Tel 053-453-3872


 浜松城公園は、昭和25年(1950)子供博覧会の開催を契機に開設されました。現在の天守閣は、昭和33年(1958)に市民の浄財によって再建されました。昭和52年(1977)に昭和天皇在位50年記念公園として再整備され、浜松城を中心に、日本庭園や作左の森などを新たに完成させています。
 徳川家康の治世はここ浜松城から始まり、29歳から17年間在城しました。三方ヶ原、姉川、長篠、小牧、長久手など人生を左右する大事な戦をこの城とともに体験しました。天守閣には鎧や刀剣などが展示され、最上階の展望回廊からは浜松市内が一望できます。
 浜松城の前には曳馬城という今川臣下であった飯尾氏の居城がありました。遠江への勢力拡大を図る家康は、永禄11年(1568)に曳馬城を攻略します。翌年、遠江制圧すると曳馬城を改修して浜松城と命名して岡崎城からこの地に移りました。
 元亀3年(1573)、武田信玄との三方ヶ原の戦いがあり、家康は大敗を喫しました。天正10年(1582)頃、堅固な城固めのため拡張、改修を終えた後、天正14年(1586)、浜松から駿府に本拠を移しました。翌年、豊臣秀吉の命により関東へ移封となりました。
 浜松城はその後、秀吉の家臣である堀尾吉晴が入封、家康が天下を取ったのちは、松平(大給、本庄、大河内)、水野、高力、太田、青山氏が在城し、井上氏になって明治を迎えました。水野越前守忠邦のように、浜松城主から老中などの幕閣の要職に就くものが多く、出世城と呼ばれました。
 城郭は、南北約500m、東西約450mの縄張を持ち、三方が原台の斜面に沿い、西北にあたる最高所に天守曲輪、その東に本丸、二の丸を配し、さらに東南に三の丸とほぼ一線に並び、梯郭(ていかく)式と呼ばれるものです。

 浜松城の石垣は、自然石を上下に組み合わせて積み上げる野面積みです。表面に隙間があり、一見崩れやすく見えますが、奥が深く内側に小石や砂利を詰めてあるため、水はけも良く堅固です。現存する野面積みの石垣で有名なのは、彦根城・竹田城・安土城などです。
野面積み石垣
 直径1.3m、深さは現在1mほどの銀明水と呼ばれていた井戸があります。 浜松城には、天守台に一つ、天守曲輪の埋門のそばに一つ、本丸に一つ、二の丸に三つ、作左曲輪に四つ、計十本の井戸があったそうです。天守台の井戸は、再建の時に残し、今は天守閣の地下室にあります。
井戸銀明水
 家康お手植えのみかんの木が、本丸天守閣近くにあります。家康が駿府城に隠居されたおり、紀州より献上の鉢植えのみかんを「紅葉山庭園」に自ら移植したものと伝えられています。その木から接ぎ木したものを静岡市よりご寄贈されたものです。鎌倉時代に中国から入ったみかん(紀州みかん又はこみかん)の一種で、香りが強く、種のある小型の実を結ぶのが特徴です。
家康お手植えのみかん


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