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静岡の旅と歴史
静岡の旅       浜松市北区

方広寺
ほうこうじ
静岡県浜松市北区引佐町奥山1577−1
Tel 053-543-0003


 深奥山方広寺(ほうこうじ)は、臨済宗方広寺派の本山で、方広萬寿禅寺と称します。東海地方の代表的な禅寺で、奥山半僧坊の名で知られています。創建は建徳2年(1371)、後醍醐天皇の皇子満良(みつよし)親王・無文元選禅師によってなされました。
 無文禅師は中国各地を巡拝しました。帰国する海上で難破の危機に遇い、禅師は無事を一心に祈りました。すると法衣を着て袈裟をまとった、鼻の高い一人の異人が現れて、海難を免れたそうです。
 禅師が方広寺を開山した時、再びその一異人が姿を現し、弟子にしてほしいと願い出ました。弟子になることを許され、禅師に仕え、修行に励みました。禅師が亡くなると、「わたしはこの山を護り、このお寺を護り、世の人々の苦しみや災難を除きましょう」といって姿を消したそうです。
 これが半僧坊権現といわれるもので、方広寺を護る鎮守として祀られ、世の人々の苦しみや災難を除く権現として、信仰をあつめました。本堂西側の神殿に半僧坊大権現が祀られており、厄除け、商売繁盛などを願って多くの人が参詣しています。
 無文禅師は宗良親王の弟です。宗良親王がこの地に埋葬された際には無文禅師が導師として奉仕されたと伝えられています。 60ヘクタールの境内には、山門、本堂、半僧坊真殿、三重の塔など60余りの建物が建っています。
 五百羅漢の立像、坐像が参道に並んでいます。拙巌(せつがん)和尚が、大蔵経(だいぞうきょう)を読んでいるとき、500人の羅漢が仏法を護り、伝えるという記述を読み、石像の安置を発願され、明和7年(1770)、500体の羅漢を安置したものです。
 方広寺は天正15年(1587)後陽成天皇の勅願所となり、江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられました。
 間口32m、奥行27mの大きな本堂の中央に掲げられた「深奥山」の大額は、幕末明治に活躍した山岡鉄舟の書です。
 明治時代以降、半僧坊信仰が急速に広まり、全国に広まりました。鎌倉建長寺の半僧坊は方広寺から明治23年(1890)に勧請されたものです。烏天狗がその象徴となっていて、奥山半僧坊や建長寺半僧坊にもその像が祀られています。
 七尊菩薩堂は方広寺境内にある鎌倉末期の様式を伝えた建物で、国の重要文化財に指定されています。間口90cm、奥行約150cm、こけら葺き、一間社流れ造り様式で建てられています。流れ造りとしては静岡県に残る最も古い木造建造物です。


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