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静岡の旅と歴史
静岡の旅       伊豆の国市

韮山反射炉
にらやまはんしゃろ
静岡県伊豆の国市中字鳴滝入268−1
Tel 055-949-3450


 韮山反射炉は幕末期、国を防衛するための大砲を鋳造するために造られた反射炉です。嘉永6年(1853)、韮山代官であった江川太郎左衛門英龍(坦庵)が幕府に建議して反射炉の建設に着手し、大砲鋳造の近代化を図り量産化を計画しました。
 しかし、安政2年(1855)に英龍は亡くなり、跡を継いだ息子の英敏が佐賀藩の技師の協力により安政4年(1857)に完成させました。元治元年(1864)幕府が小石川に新たな鋳造所を開設するまで100門もの大砲がここで造られたそうです。
 明治時代に入り全国に造られた反射炉の多くが解体されました。韮山反射炉は唯一残された遺構として大正11年(1922)には国の史跡の指定され、平成19年(2007)には経済産業省から近代化産業遺産に認定されました。平成27年(2015)には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に選定されました。


韮山反射炉本体(国史跡)
 反射炉は金属を溶かして大砲などを鋳造する溶解炉です。韮山反射炉本体は連双2基(4炉)、高さ約15.7m、炉体部の外側は凝灰岩(伊豆石)石積みで、内側は耐火煉瓦積みになっています。煙突は3段構造で125段の耐火煉瓦組積みです。
韮山反射炉
 燃焼室と加熱室が分かれており、加熱室の天井および側壁からの反射熱(放射熱)で一点に集中させるさせることにより銑鉄などを溶かす事が可能になります。韮山反射炉は国内で唯一残された遺構で、大正11年(1922)に国の史跡に指定されました。
韮山反射炉

鉄製24ポンドカノン砲
 鉄製24ポンドカノン(二十四听加農)砲が反射炉の近くに展示されています。これは江川家家臣の長澤家伝来の古図を元に復元されたレプリカということです。韮山反射炉で最も多く鋳造されたと考えられている大砲で、全長3.502m、重さは3.5トンもあります。
鉄製24ポンドカノン砲

青銅製20ドイムモルチール砲
 青銅製20ドイムモルチール砲が韮山反射炉ガイダンスセンターの中に展示されています。砲身が短く臼に似ているので臼砲(モルチール)と呼ばれています。臼砲は45度の角度で砲弾を射出し城壁などの上を越えて攻撃する砲口装填式の滑空砲です。ドイム(拇)は、昔のオランダの長さの単位です。
20ドイムモルチール砲

反射炉碑
 反射炉碑が反射炉の近くに建てられています。韮山反射炉の概要、建設に至る背景、建設者である江川太郎左衛門英龍(坦庵)を顕彰する内容が碑文で刻まれています。高さ約4mの緑泥片岩で、大正15年(1926)に建立されています。
反射炉碑


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