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静岡の旅と歴史
静岡の旅       掛川市

掛川城
かけがわじょう
静岡県掛川市掛川1138−24
Tel 0537-22-1146 掛川城管理事務所


 掛川城は標高65mの天王山頂に文明年間(1469-1486)駿河守護職今川義忠(よしただ)が遠江支配の拠点として、重臣朝比奈備中守泰熙(やすひろ)に命じて根城を築かせたのがはじまりです。
 そして朝比奈氏は3代に渡って城代を務めました。泰熙の孫・泰朝(やすとも)の代に、南西 約500mの地点に位置する竜頭山に掛川城を築き、永正10年(1513)、そこに移りました。
 永禄11年(1568)、武田信玄に駿河を追われた今川氏真は掛川城に逃げ込みました。そして今度は徳川家康に城を包囲されることになりました。しかし難攻不落な掛川城は5ヶ月間落ちませんでした。家康は密約をもって講和せざるをえませんでした。
 泰朝は氏真の身の安全を家康に認めさせ、永禄12年(1569)小田原城へ退去し、掛川城には家康の重臣・石川家成・康通親子が入りました。駿河国に入った武田信玄は家康と対峙し、掛川城に近い場所で激しい攻防戦になりましたが掛川城は武田氏滅亡まで徳川氏が領有し続けました。
 天正18年(1590)、家康が東海から関東に移封されると、掛川城には豊臣秀吉の直臣であった山内一豊が5万1千石で入りました。一豊は掛川城の大規模な城郭拡張を行ないました。天守閣、大手門の建設と共に城下町の整備により、東海の名城と呼ばれました。
 その後、一豊は高知城に移封し、松平、青山、北条、井伊、小笠原、太田氏が治めました。幕末の安政元年(1854)末に、安政東海地震が襲い、掛川城は大半の建物が倒壊しました。二ノ丸御殿は文久元年(1861)までに再建されましたが、天守は再建されませんでした。
 平成6年(1994)市民や地元企業などから10億円の募金を集めて、戦後初となる木造による天守を再建しました。城内では鎧兜や装身具などを展示され、最上階の天守台からは周囲が一望できます。


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