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静岡の旅と歴史
静岡の旅       三島市

三嶋大社
みしまたいしゃ
静岡県三島市大宮町2−1−5
Tel 055-975-0172


 三嶋大社は三島駅の南東1kmの地に建てられた1300年以上の歴史を持つ古社です。延長5年(927)編纂の延喜式神名帳には名神大社と記載されている式内社で、祭神は事代主神(ことしろぬしのみこと)と大山祇命(おおやまづみのみこと)で、この2神を三嶋大明神として祀っています。
 伊豆諸島の噴火・造島を司る神として朝廷からも特別な尊崇を受け、伊豆国の一宮として古くから人々の崇敬を集めてきました。源頼朝は治承4年(1180)、伊豆に配流されていた時、源氏再興、平家追討の祈願を行い、念願成就したことで、篤く庇護し社領の寄進や社殿の造営をしています。
 歴代の鎌倉幕府将軍も鶴岡八幡宮、二所権現(伊豆山神社・箱根神社)、三嶋大社の3社を特に篤く庇護しました。室町時代には室町幕府や鎌倉公方が庇護し、戦国時代には領主である北条家によって、社領の寄進や社殿の造営が行われました。
 江戸幕府からは慶長9年(1604)に社領530石が安堵され伊豆国一ノ宮、関東総鎮守、東海随一の名社として崇敬されました。明治時代の神仏分離令により、神仏習合していた三嶋大社は仏式が廃され、別当寺院だった愛染院をはじめ大徳院、竜宝院、法正院も廃寺となりました。
 三嶋大社の社殿は文永5年(1268)、永仁4年(1296)に火災で焼失し、延享元年(1744)、安政元年(1854)に地震により倒壊しました。その度に再建され、現在の本殿、幣殿、拝殿は慶応3年(1867)に再建された社殿です。明治4年(1871)には官幣大社に列しました。



三嶋大社拝殿(国重文)
 三嶋大社の拝殿は間口7間、奥行4間、単層、入母屋造りです。正面に3間の向拝があり、千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風(のきからはふ)を付けています。安政元年(1854)の地震後、本殿、幣殿とともに慶応3年(1867)に再建された建物です。平成12年(2000)に国の重要文化財に指定されています。
三嶋大社拝殿

三嶋大社幣殿(国重文)
 三嶋大社の幣殿は間口3間、奥行1間、単層、両下造り、銅板葺きです。本殿と拝殿の間の軒下に納まる相の間のことで、権現造りともいわれます。慶応3年(1867)に再建された建物で、平成12年(2000)に国の重要文化財に指定されています。
三嶋大社幣殿

三嶋大社本殿(国重文)
 三嶋大社の本殿は高さ23m、三間社流造り、銅板葺きで、棟には千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)をつけています。本殿の大きさは出雲大社と並ぶ国内最大級の大きさで、鬼瓦の高さだけで4mもあります。流造りの本殿、入母屋造りの拝殿、両流造りの幣殿を繋いだ権現造りという複合社殿の形式です。
三嶋大社本殿
 本殿は安政元年(1854)の東海大地震で倒壊し、拝殿、幣殿とともに慶応3年(1867)に再建された建物です。蟇股などの彫刻は伊豆国の名工・小沢希道、駿河国の名工・後藤芳治良が競い合って完成させた傑作といわれます。本殿は拝殿、幣殿とともに平成12年(2000)に国の重要文化財に指定されています。
三嶋大社本殿

三嶋大社神池
 三嶋大社の神池は鳥居と総門の間にあります。池の周りにはしだれ桜が植えられていて、池の中には厳島神社があります。源頼朝はこの神池で、元暦2年(1185)、放生会を行い、 その際に糠田郷と長崎郷を三嶋大社の料と定めたそうです。
三嶋大社神池

三嶋大社舞殿
 三嶋大社の舞殿は慶応2年(1866)に再建されています。古くは祓殿と呼ばれ神楽・祈祷を行っていました。後に舞を奉納するようになったので舞殿と呼ばれます。現在は舞の他、静岡県無形文化財の田打ち神事、豆まき神事、鳴弦式などの神事や、結婚式なども行っています。舞殿は三島市の有形文化財に指定されています。
三嶋大社舞殿

三嶋大社総門
 三嶋大社の総門は外構えの門といわれます。建築中に伊豆震災に遭いましたが、昭和6年(1931)に完成しました。当時の内務省神社局技師であった角南隆氏の設計・監督で、総工費は当時のお金で約7万円だったそうです。台湾檜が初めて使われました。
三嶋大社総門

三嶋大社神門
  三嶋大社の神門(しんもん)は総門の先にあります。本殿などと同時期の慶応3年(1867)に再建された唐破風の付いた門です。総欅造りで、舞殿とともに三島市の有形文化財に指定されています。
三嶋大社神門

三嶋大社芸能殿
 三嶋大社の芸能殿は、安政の東海大地震後、総門として完成した建物です。昭和6年(1931)に現在の総門が作られたため、旧総門は他に移されましたが、戦後再建され、芸能殿とし保存されています。
三嶋大社芸能殿

三嶋大社神馬社
 三嶋大社の神馬社は慶応4年(1868)に建てられました。 戦後、現在の神馬舎が完成し、移されています。古くから三嶋大社の神馬は毎朝神様を乗せて箱根山に登るといわれていました。地元ではお馬が帰ったから朝食にすると教えられたそうです。
三嶋大社神馬社

三嶋大社若宮神社
 三嶋大社の若宮神社は慶応4年(1868)に再建された社殿です。古くは八幡宮、若宮八幡宮、若宮社と呼ばれました。三嶋大神の御子神である物忌奈乃命、誉田別命、神功皇后、妃大神を祀っています。
三嶋大社若宮神社

三嶋大社宝物館
 三嶋大社の宝物館は三嶋大社の祭事、歴史と資料をわかりやすく展示しています。源頼朝夫人の北条政子が寄進した国宝「梅蒔絵手箱(化粧道具一式34点)」や太刀、脇差などの国指定重要文化財が多数所蔵、展示されています。
三嶋大社宝物館

三嶋大社金木犀(国天然記念物)
 三嶋大社の神木である三嶋大社のキンモクセイは高さ約15m、幹周約4mの巨木で、樹齢は1200年以上といわれています。ウスギモクセイ(薄黄木犀)で、昭和9年(1934)に国の天然記念物に指定されています。9月上旬と9月下旬から10月上旬にかけて2度開花するそうです。
三嶋大社金木犀

三嶋大社社叢
  三嶋大社社叢(しゃそう)は三島市の天然記念物に指定されています。「三島七木(ななぼく)」唯一の生き残りの楠や、国天然記念物の金木犀など100種類以上の樹木で、鎮守の森と呼ばれます。「三島七木」は、 間眠(まどろみ)神社・法華寺・石(おしゃもじ)神社・道満塚・晴明塚の松、三嶋大社の楠、陣屋の欅です。
三嶋大社社叢


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