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静岡の旅と歴史
静岡の旅       下田市

宝福寺
ほうふくじ
静岡県下田市1ー18ー26
Tel 0558-22-0960


 八幡山宝福寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、永禄2年(1559)了善によって創建されました。嘉永7年(1854)に締結された日米和親条約により下田開港となり、ここ宝福寺は日本全権の本陣になりました。
 そして新たに下田奉行所が設置されました、都筑駿河守が奉行に赴任し、宝福寺は宿舎、仮奉行所となりました。
 文久3年(1863)、第15代土佐藩主、山内容堂を乗せた「大鵬丸」が上洛途上、嵐に見舞われ、風待ちの為に下田港へ一時避難し、一行は宝福寺に逗留をしていました。そこに勝海舟の率いる幕船「順同丸」がやはり嵐のため、下田港へ入港してきました。
 海舟入港の知らせを聞いた容堂は酒席へ招きました。この席で海舟は土佐藩を脱藩し自分の船にいる坂本龍馬ら脱藩浪士の罪の許しを嘆願しました。「鯨海酔候」と自称するほど酒好きの容堂は酒を飲めない海舟に瓢箪から盃になみなみと酒を注ぎました。
 そして飲み干したら、願いを聞くと言ったのです。海舟はその酒をすべて飲み干しました。そして赦免の証拠に瓢箪をもらいうけたいと願いました。すると容堂は白い扇に瓢箪の絵を描き、「歳酔三百六十回 鯨海酔候」と著名して海舟に手渡したそうです。この時の盃は宝福寺の寺宝になっているそうです。
 宝福寺境内にはハリスのもとで待妾として仕えたお吉の墓があります。敷地内にはお吉記念館があり、お吉が使ったかんざしや当時の覚え書きなどを展示しています。


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