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静岡の旅と歴史
静岡の旅       下田市

了仙寺
りょうせんじ
静岡県下田市3−12ー12
Tel 0558-22-0657


 法順山了仙寺は、日蓮宗のお寺で、日米下田条約が締結された日本開国の国指定史跡です。
 了仙寺は寛永12年(1635)、第2代下田奉行であった今村伝四郎正長によって創建されました。目を病んだ徳川家康が身延山久遠寺に病気平癒の願をかけ、祈願成就で創建されたお寺なのです。
 嘉永7年(1854)、日米和親条約が締結され、ペリー艦隊が開港された下田に入港すると、了仙寺はペリー一行の応接所兼幕府との交渉場所となりました。
 そして、同年、日本全権林大学頭らとペリー提督との間に日米和親条約の付属条約である細かい取り決めの下田条約がここで結ばれました。
 下田条約は正確には日米和親条約付則13ヶ条と呼ばれています。この中で、アメリカ人は下田の街中を自由に歩く権利、すなわち「遊歩権」などが与えられました。これは一種の交流権です。
 黒船のアメリカ人と下田の町民たちはそこここで異文化の交流を体験しました。了仙寺では、下田の町民たちを対象としたコンサートがアメリカ海軍の軍楽隊によって開かれたそうです。

 境内には了仙寺宝物館が隣接しています。 ペリー・黒船・異文化交流をテーマとした黒船コレクションが有名です。絵巻物や肉筆画、版画など江戸時代初期から明治時代にかけての日本および海外の3000点を超える資料が所蔵、展示されています。
了仙寺宝物館
 境内裏に了仙寺横穴遺跡の洞窟があります。今から約1300〜1400年程前の古墳時代に墓として利用されていたようです。人骨とともに、幻玉や水晶製の腕輪や耳飾りなどの装身具、土師器などが出土しました。これらは死者とともに埋められた福葬品で、その質や量からみてこの地域に有力者の墓と考えられています。
了仙寺横穴遺跡


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