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静岡の旅と歴史
静岡の旅       静岡市清水区

梅蔭禅寺
ばいいんぜんじ
静岡県静岡市清水区清水南岡町3−8
Tel 054-352-0995


 梅蔭禅寺は臨済宗妙心寺派の禅寺で、明応元年(1492)天倫通明和尚の開山創建と伝えられています。当初は、梅蔭庵と号し永禄年間(1558-1569)武田家の御朱印地となり、その後梅蔭寺と改めました。慶長年間(1596-1614)に火災により諸堂及び宝物を失い、安政2年(1855)の安政の大地震では堂宇が倒壊しました。
 梅蔭禅寺は侠客・清水次郎長の菩提寺として有名です。次郎長をはじめ、大政・小政・増川仙右エ門、お蝶夫人の墓があります。境内に立つ次郎長像の向いには次郎長遺物館があります。次郎長愛用の着衣や煙官、大政の特大の胴着、小政愛用の木刀などを展示しています。
次郎長像
 「侠客次郎長の墓」は榎本武揚の揮毫です。武揚は江戸幕末の海軍のトップになり、箱館湾海戦で新政府軍に敗れました。その後、明治政府の郵政大臣を務めるなど、海軍中将、子爵まで上り詰めました。咸臨丸で殺された旧幕府兵士の遺体を次郎長が丁重に葬ったことから榎本武揚や山岡鉄舟らと親交が生まれました。
清水次郎長の墓
 清水の次郎長(1820-1893)こと山本長五郎は文政3年(1820)清水市美濃輪の船持ち船頭の三男に生まれ、母の弟の米商「甲田屋」山本次郎八の養子となりました。家出してやくざの世界に入り、諸国を旅して修行を積み清水港に一家を構えました。
小政、仙右ェ門の墓
 慶応4年(1868)、東征大総督府から駿府町差配役に任命され、静岡県の駿河、遠江、愛知県三河の地域の治安維持に貢献しました。この年に旧幕府軍の一隻「咸臨丸」が清水湊に入り、官軍からの攻撃で乗船していた旧幕府軍兵士が殺害される事件が起きました。
大政の墓
 海に投げ出されたままになっていた遺体は、官軍の怒りを買うことを恐れ、誰も葬ることをしませんでした。次郎長は「死者に官軍も賊軍もない。皆、仏だ」と言って手厚く葬ったのです。そして静岡藩大判事の任にあった旧幕臣の山岡鉄舟らと親交ができ、世のため人のために生きるようになったそうです。
旅姿三人男の碑
 博打を止めた次郎長は清水港開港に尽力し、英語教師を招いて青年に英語を教え、晩年は開墾事業に没頭し、三保・日本平・富士市裾野大開墾など幾多の社会公益の為に尽くしました。
お蝶弁天


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