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静岡の旅と歴史
静岡の旅       静岡市駿河区

久能山東照宮
くのうざんとうしょうぐう
静岡県静岡市駿河区根古屋390
Tel 054-237-2438


 元和2年(1616)、徳川家康は75歳の生涯を閉じました。遺言により、遺骸は久能山に移され、侍臣・榊原照久を斎主として神道の式により葬られました。
 家康の廟所となったことで久能山にあった久能山城は廃城となりました。この城は山梨県の岩殿城、群馬県の岩櫃城とともに武田の3名城でした。家康は、大御所として駿府にいた頃、「久能山城は駿府城の本丸と思う」と、久能山の重要性を説いていたそうです。
 2代将軍徳川秀忠は久能山に家康を祀る神社を造営することになります。1159段のつづら折りの石段を登りつめた山頂に壮麗な社殿が造られました。これが久能山東照宮です。
 家康の10男で、当時、駿河領主であった頼将(のちの初代紀州藩主頼宣)が総奉行となり、中井大和守清次が大工の棟梁となりました。元和2年(1616)5月に着工され、翌年の12月までの 1年7ヶ月という短期間でこれだけの建物群を造り上げました。
 社殿は当時最高の建築技術・芸術が結集された「権現造」の様式で、桃山時代から江戸時代の美術の粋を集め造られました。日光東照宮を始め全国に多数造営された東照宮は久能山東照宮が原型となっています。
 中井大和守正清は名古屋城、仁和寺、二条城などの国宝、重要文化財に指定されている建物を手掛けています。久能山東照宮も社殿の壮麗さと、駿河湾を見おろす風光の美しさで全国に知れ渡りました。
 祭神は、もちろん徳川家康で、「東照神君」として平和・開運・学問・厄除の神として祀られています。さらに相殿として、豊臣秀吉、織田信長が祀られています。
 家康の遺骸は、「一周忌を過ぎた頃に日光山に小堂を建てて移霊せよ」という遺言により、元和3年(1617)4月4日、日光東照宮に改葬されました。しかし、その後も徳川家の宗廟として日光と並び称せられ、篤い崇敬をうけました。
 昭和30年(1955)には、本殿、拝殿、唐門、神廟、神楽殿、鼓楼、神厩、楼門などの創建当時の建造物が重要文化財に指定されました。昭和34年(1959)、久能山全域が国の史跡に指定され、平成22年(2010)年12月には「本殿、石の間、拝殿」が国宝に指定されました。
 社殿の後方には家康の眠る廟所があります。また、境内には、久能山東照宮博物館があり、家康公が愛用した宝物類2000点あまりを保存展示してあります。

 一ノ門は駿河湾側から登る石段を登りきった909段の所にある門です。家康のお墓までが1159段です。門衛所が奥にあります。ここからの眺望は駿河湾が見渡せ、絶景です。
一ノ門
 門衛所は一ノ門をくぐったところにあります。江戸時代には久能山東照宮の参拝には制限がかけられ、当時の警察官である与力がこの門衛所に詰めて警衛の任に就いていました。
門衛所
 久能山城時代の井戸が残っていて、「勘助井戸」という名がついています。軍師、山本勘助が掘ったと伝わる井戸で久能山城を語る貴重な文化財です。
勘介井戸
 楼門(ろうもん)は元和3年(1617)に建てられた3間1戸の8脚楼門です。入母屋造りで銅瓦葺きです。この門をくぐって東照宮詣でが始まります。楼門前にある狛犬は宮内を向いています。
楼門
 2階部分には後水尾天皇の宸筆(天皇御自ら書かれた書)である「東照大権現」の扁額(へんがく)が掲げてあり、勅額御門ともいわれています。極彩色、漆塗りの楼門は国の重要文化財に指定されています。
楼門

 元和3年(1617)に建てられた神厩(しんきゅう)です。神厩とは馬屋のことで、神に仕える馬を飼う建物のことです。馬は神の使いとされ、日光東照宮や伊勢神宮などでは本物の馬を飼っています。桁行3間、梁間2間の厩舎で、国の重要文化財に指定されています。
神厩
 その昔、愛馬は夜になると家康の神廟の脇で休み、朝になると厩舎で餌を食べていたそうです。ある朝、馬が厩舎に戻らなかったため神廟を確認したところ、静かに眠ったままの姿で見つかりました。その話を聞きつけた名工、左甚五郎が愛馬そっくりに彫刻し、この厩舎に納めたと伝えられています。馬の眼球には当時大変貴重であったギヤマン(ガラス)が使用されています。
神厩

 鼓楼は元和3年(1617)に建てられた鐘楼です。袴腰付きの桁行3間、梁間2間、、切妻造り、妻入の本瓦葺きの建物で国の重要文化財に指定されています。
鼓楼
 明治の神仏分離の際、鐘楼は仏教施設であるということから中身を太鼓に替え、「鼓楼」となりました。太鼓は明治6年(1873)に旧幕臣であった小島勝直氏が江戸城にあった太鼓を奉納したそうです。
鼓楼

 五重塔は廃仏毀釈の時に取り壊されてしまい、その跡の石碑が残されています。久能山東照宮の主要建築物の中で唯一残存できなかった堂宇で、残念でたまりません。仏教的要素が強すぎるとの理由だったそうです。
五重塔跡

 神饌所は正保4年(1647)の建築で、国の重要文化財に指定されています。平面は、桁行5間、梁間3間、入母屋造り、銅瓦葺きです。内部は、神饌を調える2部屋を配しています。
神饌所

 神庫は奈良、正倉院と同じ校倉造りの建物です。桁行5間、梁間3間、寄棟造り、本瓦葺きの建物で元和3年(1617)に建てられました。東照宮への奉納品をここに納めたと伝わっています。国の重要文化財に指定されています。
神庫

 神楽殿は元和3年(1617)に建てられた桁行5間、梁間3間の建物で、国の重要文化財に指定されています。神楽殿という名称が付いていますがこの建物では神楽は行われず、武家奉納の絵馬を掲げたと伝わっています。
神楽殿

 日枝神社は桁行3間、梁間3間、向拝一間がある入母屋造り、銅瓦葺きの建物です。御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)です。元和3年(1617)に建てられた建物で、国の重要文化財に指定されています。
日枝神社
 日枝神社は、昔は、御本地堂といわれ東照公の御本地仏とする薬師如来像を安置していました。神仏分離令を受けて明治3年(1870)12月に仏像を大正寺に遷し、山中にあった山王社の御神体を納めたと伝わっています。
日枝神社

 東門は日枝神社から拝殿の間にある朱塗りの棟門です。元和3年(1617)に建てられた門で国の重要文化財に指定されています。 
東門

 唐門は四方唐破風造りの門で元和3年(1617)に建てられています。下の鳥居から見ると、正面の一段高い所に見えます。唐門と透塀が取り囲む形で拝殿、本殿は建てられています。唐戸棟桁下羽目板などで細部にわたって豊富な彫刻色漆金箔などを使って豪華絢爛な美観を現しています。
唐門
 唐門は四脚平唐門、前後軒唐破風付、銅瓦葺きの門で透塀とともに国の重要文化財に指定されています。 透塀とは、中ほどを連子(れんじ)、透かし彫りなどにして、内部が透けて見える塀のことをいいます。
唐門

 元和3年(1617)に建立された本殿、石の間、拝殿は、いわゆる権現造の形式をもつ複合社殿で平成22年(2010)年12月に国宝に指定されました。本殿・拝殿を石の間で接続していて、建設当時最高の建築技術・芸術が結集されています。要所に彫刻や錺金具などを用いて荘厳化をはかり、江戸幕府草創期における質の高い建築技術や工芸技術を伝えています。
社殿(本殿・石ノ間・拝殿)
 本殿は桁行3間、梁間3間、一重、入母屋造りの銅瓦葺きです。石の間は桁行1間、梁間1間、一重、両下造、銅瓦葺きです。拝殿は桁行5間、梁間2間、一重、入母屋造りで正面に千鳥破風を付け、向拝3間がある銅瓦葺きの建物です。伝統様式である和様を基調とし、複雑な構成になる立面や軒廻りなどを巧みにまとめており、細部も整った意匠をもっています。
社殿(本殿・石ノ間・拝殿)

 渡廊は本殿前面の石の間と階段下にある神饌所を結んでいます。元和3年(1617)に建てられた22間の建物で国の重要文化財に指定されています。
渡廊

 久能山東照宮の廟門(びょうもん)は社殿の後方にある家康の眠る廟所の入口です。向唐破風造りの四脚門で銅瓦葺きです。元和3年(1617)に建てられた門で国の重要文化財に指定されています。
廟門

 廟所(びょうしょ)参道は廟門から御神廟までの間をつなぐ参道です。左右には家康に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が並んでいて、厳かな雰囲気が漂っています。
廟所参道

 廟所(びょうしょ)参道の石段の奥に家康が眠る「神廟(しんびょう)」の石造宝塔があります。当初、この地には小さな祠(ほこら)が建てられていましたが、三代将軍徳川家光によって高さ5.5m、まわり8mの石塔が建てられました。家康公の遺命に従い、西向きに建てられています。神廟は国の重要文化財に指定されています。
神廟
 久能山東照宮廟所にある玉垣(たまがき)も国の重要文化財に指定されています。玉垣とは、神社・神域の周囲にめぐらされる垣のことです。瑞垣(みずがき)ともいわれます。
東照宮廟所玉垣

 久能山東照宮博物館は、昭和40年に設置されました。国宝の備前(岡山)太刀の真恒(さねつね)は平安末期から鎌倉初期に作られた名刀です。スペイン製枕時計は家康の愛用品で我が国で現存する機械時計では最古のものです。この他、家康の遺品である、鉛筆、コンパス、眼鏡や甲冑、刀剣など2000点ちかくの文化財を収蔵しています。
久能山東照宮博物館


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