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静岡の旅と歴史
静岡の旅       静岡市清水区

龍華寺
りゅうげじ
静岡県静岡市清水区村松2085
Tel 054-334-2858


 観富山(かんぷさん)龍華寺(りゅうげじ)は日蓮宗の名刹で、寛文10年(1670)身延山第21世の日遠上人の弟子である日近(にちごん)上人が開きました。寺の名は、日近上人を非常に祟敬していた東山天皇が命名され、皇室の勅願所としたそうです。
 甲州身延の大野山本遠寺第4世だった日近上人は、霊峰富士の信奉者でした。「この地から観る富士の姿が最も荘厳である」と隠居地として龍華寺を建立したのです。そして「大野別院」と称しました。
 創立の際には、徳川家康の側室で水戸光圀の祖母である養珠院お萬の方の援助を受けたそうです。龍華寺にはお萬の方の肖像画が残されています。お萬の方は10男徳川頼宣(紀伊徳川家)、11男徳川頼房(水戸徳川家) の母にあたります。
 須弥山(しゅみせん)式といわれる日本最古の造園法で造られた庭園「観富園」は、池を駿河湾に、本堂の屋根を富士山に見立てて造られました。駿河湾越しに望む富士の絶景を縮図としたものです。
 株まわり5.3m、高さ3.7mの日本最古の大ソテツは、日本一の大きさで国の天然記念物に指定されています。大阪府堺市の妙国寺、静岡市吉田町の能満寺のソテツとともに「日本三大ソテツ」に数えられています。
 境内には江戸時代初期にブームだったという大サボテンもあります。根元は既に木化しています。推定300年で国の天然記念物に指定されています。龍華寺のサボテンは大きな刃の様子をしている事から大宝剣と呼ばれています。

 晩年日蓮宗に帰依し、この眺望を愛した明治の文豪、高山樗牛(ちょぎゅう)の墓があります。樗牛は明治4年(1871)山形県鶴岡に生まれ、仙台二高を経て、帝国大学哲学科を卒業しました。仙台二高教授、帝大講師、雑誌「太陽」の主筆等を歴任。帝大在学中歴史小説「滝口入道」を書いて名声を得ました。日本主義、ニーチェ主義、日蓮主義と短い生涯の中で思想を変えています。日本近代化の思想の悲劇を象徴した文学でした。日本美術史で文学博士号を得ました。ヨーロッパ留学を目前に結核のため病没しました。
高山樗牛像と墓碑
 「世のかゞみ てらす心の 友垣や 富士の高山 月の姉崎」
 高山樗牛と姉崎嘲風の心友歌碑です。世界の文壇に知られた2人の友情美談を明治日蓮教学の大斗田中智学が教育勅語の「朋友相信シ」の鑑であるとして咏ぜられた歌です。
高山樗牛心友歌碑


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