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静岡の旅と歴史
静岡の旅       静岡市清水区

清見寺
せいけんじ
静岡県静岡市清水区興津清見寺町418−1
Tel 054-369-0028


 巨鼇山(こごうさん)清見寺(せいけんじ)は、臨済宗妙心寺派のお寺です。この付近は清見潟と呼ばれ、三保の松原とならぶ駿河の名所でした。清見潟には古くから関所が設けられました。奈良時代、その脇に関守として仏堂が建てられたのが清見寺の始めです。
 足利尊氏は、官寺として清見寺を保護し、今川義元も庇護しました。幼少時代に今川氏の人質だった徳川家康は、人質だった幼少の折りに清見寺の住職太原雪斎に師事し、ここで学問を修めています。
 豊臣秀吉は小田原攻めにあたって清見寺に3日も泊まったそうです。江戸時代には、朝鮮通信使や琉球使の接待がこの寺で行われました。広島県福山市の福禅寺、岡山県瀬戸内市の本蓮寺と共に朝鮮通信使遺跡として国の史跡に指定されています。

 正和3年(1312)鋳造された清見寺の梵鐘は、謡曲三井寺に出てきます。天正18年(1590)豊臣秀吉に韮山城攻めの際には陣鐘に用いました。高さ140.2cm、口径は80.7cmです。県の文化財に指定されています。
梵鐘
 明治時代には夏目漱石や高山樗牛、島崎藤村が訪れています。境内には高山樗牛「清見寺鐘声」の碑文があります。
 鐘の音はわがおもひを追うて幾度かひびきぬ。うるはしきかな、山や水や、僞りなく、そねみなく、憎みなく、爭ひなし。人は生死のちまたに迷ひ、世は興亡のわだちを廻る。・・・(略)・・・鐘の音はまたいくたびかひゞきわたりぬ。わがおもひいよ深うなりつ
高山樗牛碑文

 徳川家康手植えの「臥龍梅」や、家康「手習の間」などの遺構が残されており、国の名勝に指定されている清見寺庭園もあります。家康の3女静照院殿よりは、仏殿の本尊釋迦弁尼仏と大方丈の大玄関の寄進を受けています。与謝野晶子は「龍臥して法の教へをきくほどに梅花の開らく身となりにけり」と詠んでいます。 
臥龍梅

 境内には島崎藤村の「桜の実の熟する時」の最後の場面に登場する五百羅漢石像があります。釈迦如来の弟子で仏典の編集護持に功績のあった人々の像で、江戸時代中期に彫造されています。
五百羅漢石像

 榎本武揚が揮毫した「人之食を食む者は、人之事に死す」と書かれた咸臨丸碑があります。人の世話になった者は、その人の為に死ぬという意味です。幕府軍と新政府軍の争いの際の幕府軍の戦没者を祀るため、清水の次郎長、榎本武揚が建立しています。
咸臨丸碑
 官軍に追われ函館五稜郭を目指す旧幕府軍の一隻「咸臨丸」、途中嵐に遭い、清水湊に入ります。多勢に無勢で多くの旧幕府軍は殺害され海に投げ出されたままでした。官軍の怒りを買うことを恐れた住民は葬ることも出来ませんでした。清水の次郎長は「死者に官軍も賊軍もない。皆、仏だ」と言って手厚く葬ったそうです。
咸臨丸碑


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