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静岡の旅と歴史
静岡の旅       榛原郡吉田町

小山城跡
こやまじょうせき
静岡県榛原郡(はいばらぐん)吉田町片岡2537


 小山城は吉田町のほぼ中央部、標高30mの能満寺山の頂上にあります。周りは能満寺山公園として整備され、三の丸跡に昭和62年(1987)、望楼型3層5階の模擬天守の小山城が建てられています。他にも大手門が復元され、三日月堀や馬出しなども整備されています。
 今川氏の築城といわれていますが、今川氏の没落後、武田信玄・勝頼と徳川家康により13年にわたり激しい争奪戦が展開された城として知られています。武田軍が大井川を超えて入城後、元亀元年(1570)、松平氏が小山城を占拠しました。
 しかし翌年、再び武田が2万5千の兵で奪還し、馬場信春が大規模な改修をし、大熊長秀が城主となりました。天正10年(1582)、織田軍は武田勝頼攻めを開始し、大軍が甲斐へ侵攻しました。徳川もそれに呼応したため、小山城の城兵は城に火を放ち甲斐へ逃亡、城の使命を終えました。


三日月堀
 三日月堀は武田氏独特の築城術の一つです。三日月の形をしているので三日月堀といわれています。
三日月堀

三重堀
 三重堀は守りを堅固にするために3つならべてある彫りです。落城後、この堀に身を投げた武田の婦女子が化身した赤い唇のヒルになり、住むようになったという伝説が残されています。
三重堀

勘助井戸
 武田氏の軍師・山本勘助の声がかかっていると伝えられる井戸です。勘助は三河の人で信玄の参謀を務め、川中島の戦いで戦死しています。
勘助井戸


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