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富山の旅と歴史
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冨田家住宅
とみたけじゅうたく
富山県南砺市安居188−1


 冨田家の初代、冨田斉宮は織田信長に仕え、その後、柴田勝家、豊臣秀吉に奉公しました。大阪城落城の時に現在地に越し、藩政期に肝煎(きもいり)を務めた家柄です。
 冨田家住宅は現在でも木組や建具には寸分の狂いも無いということです。座敷の欄間は民間住宅に井波彫刻が取り入れられる初期の作品として貴重です。主屋、長屋門、味噌蔵、南土蔵、北土蔵が国の有形文化財に登録されています。

冨田家住宅主屋(国登録文化財)
 冨田家住宅の主屋は大正12年(1923)から5年をかけて建てられています。入母屋造り、平入の木造2階建ての大型住宅で、四周に下屋を廻し、屋根は総桟瓦葺きです。間口11間半(21.1m)、奥行9間(16.7m)で、建築面積は365平方mです。
冨田家住宅主屋
 伝統的な形式を基調とし、良材を用いて質の高い大工技術が隅々まで行き渡っています。透き漆塗を施した木部、ガラスを多用した建具などには近代の和風の意匠が使われています。座敷の欄間には井波彫刻が施されています。平成16年(2004)に国の有形文化財に登録されています。
冨田家住宅主屋

冨田家住宅長屋門(国登録文化財)
 冨田家住宅の長屋門は主屋正面に東面して建てられています。切妻造り、桟瓦葺で、北を門口、南を真壁漆喰塗の物置としています。門口は間口3.2mで本柱を立てて板扉を備え、南に袖壁、北に潜戸を設けています。梁に文化、天保の墨書があることから江戸時代後期の1804−1843年の間に建てられたと思われます。
冨田家住宅長屋門
 桐木(東石黒)の肝煎(きもいり)であった丹羽家の門を移築したと伝えられています。当初は物置のない薬医門であったと思われます。旧家の屋敷構えに厳かな趣を添える表門であるといえます。令和元年(2019)に国の有形文化財に登録されています。
冨田家長屋門

冨田家住宅味噌蔵(国登録文化財)
 冨田家住宅の味噌蔵は主屋の北側に南面して建てられています。土蔵造りの平屋建てで、昭和前期の建物です。切妻造り、置屋根式桟瓦葺きで、戸口前に板敷の下屋を設け、主屋と結んでいます。外壁漆喰塗で、水切下に簓子(ささらこ)下見板を張っています。令和元年(2019)に国の有形文化財に登録されています。
冨田家味噌蔵

冨田家住宅南土蔵(国登録文化財)
 冨田家住宅の南土蔵は安居寺参道側にあり、主屋背面の石垣の上に北土蔵と並んで建っています。切妻造り、置屋根式桟瓦葺きの二階建てで、昭和前期の建物です。戸前には北土蔵と一連の吹放しの下屋を通しています。令和元年(2019)に国の有形文化財に登録されています。
冨田家南土蔵

冨田家住宅北土蔵(国登録文化財)
 冨田家住宅の北土蔵は南土蔵と並んで建ち、明治前期の建物です。切妻造り、置屋根式桟瓦葺き、二階建てで、東面に南土蔵と一連の吹放し下屋を通しています。掛子塗戸(かけこぬりど)には「波に亀」の鏝絵(こてえ)が飾られています。令和元年(2019)に国の有形文化財に登録されています。
冨田家北土蔵


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