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富山の旅と歴史
富山の旅           高岡市

気多神社
けたじんじゃ
富山県高岡市伏木一宮1ー10ー1
Tel 0766-44-1836


 気多神社は養老2年(718)に行基によって開かれたといわれています。また他説では、天平宝字元年(757)に能登が越中から分離したのち、越中一之宮として能登羽咋の気多神社の分霊を、勧請して創建されたといわれます。
 朝廷からの崇敬も篤く、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社として記載され、越中の式内社の中でも一番上位の格式を持って繁栄しました。ただ、越中一宮を称する神社が気多神社の他に、射水神社、高瀬神社、雄山神社などがあります。
 古くから神仏混合し境内には七堂伽藍が整備され広壮をきわめましたが、寿永2年(1183)に木曽義仲の兵火により焼失しました。室町時代に別当の慶長寺が諸堂を整備しましたが、天文年間(1532-1555)に上杉謙信の兵火で再び焼失しました。
 別当僧宥応が小祠を建て祭祀をつづけ、永禄年間(1558-1570)に再建されたのが現在の本殿です。江戸時代に入ると歴代加賀藩主前田家の祈願所となり天保2年(1645)に前田利常により社殿が再建され、慶安3年(1650)には社領が寄進されています。
 明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、本地仏は旧国分寺跡に建立された薬師堂に移し神社として独立し、明治6年(1873)には郷社に、そして県社に列しました。4月18日の春季例大祭に奉納される通称「にらみ獅子」は頭だけがゆっくり動き、睨んだ参拝客の厄を払うとされています。

 気多神社本殿は三間社流造り、屋根はこけら葺きで、1間向拝付きです。雄大で壮厳な風格の社殿は、永禄年間(1558-1570)に再建された建物です。木割りが大きく、虹梁・拳鼻・手挟の手法が室町時代の特質を多く残しています。昭和6年(1931)に国の重要文化財に指定されています。
気多神社本殿
 高岡市街地から北へ約7km離れた伏木一宮は、万葉の歌人、大伴家持が国司として居住していた土地として有名です。境内には、越中国守・大伴家持を祀る大伴神社があります。家持の没後1200年にあたる昭和60年(1985)、地元の有志の大伴家持卿顕彰会によって創建されました。境内には石碑も建てられています。
大伴家持石碑
 108段の階段の上部、社殿に向かって左に大きな杉の木があります。これが気多神社の御神木です。今から1400年以上昔、氏子の先祖が人々の集まる場所として杉の木を植え、この木が御神木となって、人々が集まる場所になったそうです。
気多神社御神木


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