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富山の旅と歴史
富山の旅           富山市

旧内山邸
きゅううちやまてい
富山県民会館分館内山邸
富山県富山市宮尾903
Tel 076-432-4567


 旧内山邸は豪農であった内山家の屋敷や庭園などを昭和52年(1977)に13代内山季友氏が富山県へ寄付した邸宅です。現在は富山県民会館の分館として一般に開放し、観覧のほか、お茶・お花などの文化的諸行事の会場などにも利用されています。映画「散り椿」のロケ地にもなりました。
 内山家は大永・享禄年間(1521-1531)にこの地に移り、新田開発をして大地主となりました。江戸時代には富山藩の十村役(大庄屋)を歴任し1千7百石を管理、苗字帯刀が許されました。地域の勧農・治水にあたり、たびたび富山藩主の来訪も受けています。
 明治以降地主制度のもとで最大の繁栄をむかえ、徳富蘇峰、若槻礼次郎ら文人、政治家らも来訪しています。3759坪の敷地内には広大な庭園が広がっています。文人などを招待した3つの茶室があり、名石や庭木を配置した見事なものです。
 藩政時代の伝統的な豪農屋敷の正面には大広間、座敷、表座敷、台子の間、外川の間、書院、月見台などの表向きの部屋が並び、その奥には居間や台所、食事の間、女中部屋などの日常生活が行われる部屋が配されています。
 内山邸は主屋、表門、北門、東門、背戸の門、塀中門、土蔵、にわとり小屋、にわ(作業場)、もみ倉、茶室(夜雨廰)、茶室(三入庵)、井戸上屋、付属舎(人力車おき場・車夫小屋・炭小屋)など14棟が平成10年(1998)に旧内山家住宅として国の有形文化財に登録されています。

旧内山邸表門(国登録有形文化財)
 旧内山邸の表門は慶応4年(1868)に建てられた木造りの薬医門です。屋根は茅葺きだったものを昭和16年(1941)に桟瓦葺きに変えています。両側には屋根塀が付いています。旧内山家住宅表門として平成10年(1998)に国の有形文化財に登録されています。
旧内山邸表門

旧内山邸主屋(国登録有形文化財)
  旧内山邸の主屋は慶応4年(1868)に建てられています。明治20年頃(1887)に南側の表座敷、書院などを増築し、明治末(1868-1911)には東側の桜香の間などを増築して現在の姿になっています。木造平屋建てで、一部2階建てのところがあります。切妻造り、瓦葺きで、建築面積は860uもあります。
旧内山邸主屋
 正面の玄関には式台が付いており、豪農としての格式が感じられます。長大な部材を用いた大広間や銘木を駆使した書院などの意匠は優れていて、それぞれに時代の違いがよくあらわれています。平成10年(1998)に旧内山家住宅主屋として国の有形文化財に登録されています。
旧内山邸主屋

旧内山邸塀中門(国登録有形文化財)
 旧内山邸塀中門は主屋の西にある客用便所に接続して建つ塀にある門です。石造の柱の上部に石造の笠木をのせた簡略な形式の門口に木戸を入れた変わった門です。塀は腰まで自然石を積み上部を切石積みにしています。明治中期(1868-1911)に造られた塀のある石造りの門で、平成10年(1998)に国の有形文化財に.旧内山家住宅塀中門として登録されています。
旧内山邸塀中門

旧内山邸庭園
 旧内山邸の庭園は本格的な日本庭園のように遠くの山などを借景にして池や谷を組み合わせるといったような事はしていません。屋敷から見る樹木の移り変わりや石との調和を重用しています。種類の違う梅や桜がたくさん植えられており、太い桜の大木は歴史を感じさせます。
旧内山邸庭園


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