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富山の旅と歴史
富山の旅    富山市

富山城
とやまじょう
富山県富山市本丸1−62
Tel 076-432-7911


 富山は加賀前田氏の支藩のひとつでした。古くは越中の豪族神保氏の居城でした。天正9年(1581)に織田家の家臣であった佐々成政が入封して、大改修を施して富山城の基礎を築きました。
 信長が本能寺の変で倒れた後も、成政は富山城を根拠地として越中から上杉勢を追い出し、やがて越中を平定しました。秀吉嫌いで有名だった成政は、形勢が秀吉に傾く中、有名なさらさら越えで徳川家康に謁見しました。
 柴田勝家滅亡後、成政は最後に秀吉の軍門に下りました。天正15年(1546)の豊臣秀吉の九州征伐後、成政は肥後熊本城へ転封させられ代わって前田氏が治めました。
 前田利長は隠居後、富山城に入りましたが、火事で城が全焼した為、高岡に新たに城を築いて移りました。寛永16年(1661)に3代利常の次男利次が入城して富山藩10万石が成立し、城も修復しました。
 城は度重なる火災で焼失しました。維新に残っていた建物も取り払われ、明治18年(1885)に富山県庁の敷地として使用されました。昭和5年にそこも焼失。その後、城址公園になりました。

富山城模擬天守(国登録有形文化財)
 本丸南側の城門の石垣上に模擬天守が建っています。 3層4階の鉄筋コンクリート造りで、昭和29年(1954)に開かれた富山産業大博覧会を記念して建てられたもので郷土博物館となっています。
富山城模擬天守
 平成16年(2004)に、「地域の景観の核」との評価により富山市郷土博物館(富山城)が、国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。
富山城模擬天守


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