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富山の旅と歴史
富山の旅           富山市

富山市民俗民芸村
とやましみんぞくみんげいむら
富山県富山市安養坊50
Tel 076-433-8610


 富山市民俗民芸村は呉羽山中腹の眺望の良い緑豊かな小高い場所にあります。江戸から大正時代の古民家や蔵などを移築して利用しています。民俗・陶器・民芸品・薬業関連の博物館や考古資料館、富山市出身の水墨画家・篁牛人の美術館、土人形工房などが集められています。

陶芸館(国登録有形文化財)
 陶芸館は明治27年(1894)に豪農の邸宅として建てられたもので、当初は市内の大塚にありました。昭和56年(1981)に移築し開館しています。木造平屋建て、切妻造り、瓦葺きの建物です。富山県西部の平野部に多く見られる「東建ち(あずまだち)」という建物で、白壁に格子状の木組みが映えます。
陶芸館
 平成9年(1997)に国の有形文化財に登録されています。現在は富山市民俗民芸村の陶芸館として一般公開され、江戸後期から明治期の陶磁器を中心に展示されています。また皿や、湯呑の絵付け体験などもできるようになっています。
陶芸館

民芸合掌館
 民芸合掌館は文久2年(1862)、富山市山田の旧山田村に建てられた山岸家の住宅を、昭和43年(1968)に移築したものです。屋根は2本の材木を山形に組み合わせた合掌造りです。柱や梁、桁はケヤキで、大黒柱には約34cm角の太いケヤキ材を使っています。
民芸合掌館
 梁は、「チョンナバリ」という雪の重みで自然に曲がった樹木を利用した曲梁を用い、豪雪に耐える造りとなっており、1階は住居、2層ある屋根裏は養蚕などに利用されていました。箪笥、箪笥階段、飾り棚、円卓などの家具がおかれ、火鉢などの工芸品なども展示されています。
民芸合掌館

民芸館
 民芸館は明治12年(1879)に建てられた大変大きな板蔵です。昭和40年(1965)に、中田勇吉氏が、岐阜県飛騨市の旧神岡町からこの板蔵を当地へ移築し、富山市に寄附しました。生活用具である、 陶芸品、染織品、木漆器、金工品、民画、編組品など展示しています。
民芸館

民俗資料館
 民俗資料館は富山市山田の旧山田村にあった江戸時代後期に建てられた旧谷浦家住宅です。寄棟合掌造り、かや葺ぶきの農家の建物です。昭和49年(1974)に一部を改築し開館しています。囲炉裏があり、衣食住や祭礼関連の用具などを中心に展示しています。
民俗資料館

売薬資料館
 売薬資料館は300年余りの歴史を持つ「富山売薬」関係の史資料を保存・活用するために、昭和59年(1984)に開館しました。収蔵資料のうち846点は「富山の売薬資料」として、国の重要有形民俗文化財に指定されています。
売薬資料館

考古資料館
 富山市には千以上の遺跡があります。日本海側最大級の貝塚である小竹貝塚(縄文時代)、 国史跡の北代遺跡(縄文時代中期)、山陰との交流を示す墳丘墓である四隅突出型墳丘墓(弥生時代)など。昭和54年(1979)、これらの遺跡で発掘された出土品を展示・保管するためこの考古資料館は開かれました。
考古資料館

番神山横穴墓群
 富山市民俗民芸村の敷地内の呉羽丘陵に番神山横穴墓群があります。昭和3年(1928)、40年(1965)、43年(1968)の土砂工事で15基の横穴墓が発見されました。奥に向かって5mほどの所に墓室(玄室)があり人骨が発見されています。古墳時代終期の有力家族墓と考えられています。
番神山横穴墓群

佐々成政剃髪址
 富山市民俗民芸村の敷地には佐々成政剃髪址の石碑が建てられています。富山城主であった成政が天正13年(1585)攻め立てる豊臣秀吉の先鋒・前田利家の軍に敗れました。成政はここで髪を剃り僧衣を着けて服従の意志を示したそうです。
佐々成政剃髪址


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