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山梨の旅と歴史
山梨の旅      甲府市

大泉寺
だいせんじ
山梨県甲府市古府中町5015
Tel 055-253-2518


 万年山大泉寺は愛宕山から北へ続く大笠山西麓にある曹洞宗のお寺です。大永元年(1521)、武田信虎が開基、天桂禅長を開山として創建されました。歴代武田氏から庇護され寺運が隆盛し甲斐国領国内の曹洞宗寺院を統括する僧録所となりました。
 信虎は武田五郎信縄の長男として明応3年石和の居館で生まれました。永正4年(1507)14才のとき武田氏18代の甲斐国主となりました。武蔵、相模、駿河、信濃と隣国を征し、甲斐の支配を固めていきました。しかし、傍若無人な性格からか次第に人心を失っていきました。
 天文10年(1541)信濃から凱旋した信虎は、娘婿の今川義元と会うために河内路を駿河に赴くと、嫡男の晴信(信玄)は甲駿国境を封鎖して信虎を強制隠居させました。晴信は武田家家督と守護職を相続し、信虎は追放され、今川義元の元に寓居することになったのです。
 信玄の死んだ翌年の天正2年(1574)、甲斐から追放されていた信虎は信濃国高遠(長野県伊那市高遠町)で81歳の生涯を閉じました。葬儀は武田勝頼によって、この大泉寺において営まれました。大泉寺には戦場から葬儀にかけつけた勝頼が手を洗ったという井戸が残されています。
 大泉寺の寺宝には信虎三男の信廉筆による「絹本著色武田信虎像」「絹本墨画松梅図」の重要文化財をはじめ、「紺紙金泥法華経八巻」「信虎・信玄の笈」狩野探信筆の「絹本著色武田信玄画像」、武田家関係の古文書などがあります。

 永慶寺から移築されたと伝えられる総門は甲府市指定文化財です。黄檗宗様式の門として建物細部の造りは宇治万福寺の総門に極めて良く似ています。永慶寺は宝永7年(1710)、甲府城主柳沢吉保が建立した菩提寺です。享保9年(1724)年柳沢氏の大和郡山への転封に伴って移転することになり廃寺になりました。
大泉寺総門

 境内にある御霊殿(みたまや)には、信虎、信玄、勝頼の肖像があります。また、柳沢家が寄進した武田家3代の木像が安置されています。御霊殿裏の軒下に、信虎、信玄、勝頼の墓が3基あり、信虎の墓は山梨県の史跡に指定されています。
大泉寺御霊殿


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