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山梨の旅と歴史
山梨の旅      甲府市

円光院
えんこういん
山梨県甲府市岩窪町500ー1
Tel 055-253-8144


 瑞岩山円光院は、臨済宗妙心寺派のお寺です。保元年間(1156-1158)に甲斐源氏の祖とされる源清光が清光院という寺名で開いたのが始まりと伝えられています。武田信守が父親である信重の牌所として成就院としました。
 永禄3年(1560)武田信玄が小石和からこの地に移し甲府五山に定め、説三和尚を招いて中興開山しました。元亀元年(1570)、信玄の正室三条夫人が50歳で亡くなると、夫人の菩提寺となり法名から円光院と寺号を改めました。
 三条夫人は京都の公家である左大臣・三条公頼(きんより)の次女です。今川義元の媒酌で天文5年(1536)16歳の時信玄と結婚しました。そして義信、海野信親(竜宝(りゅうほう))、信之、黄梅院(おうばいいん)(北条氏政夫人)、見性院(けんしょういん)(穴山梅雪夫人)を生んでいます。
 三条夫人の姉は細川晴元夫人、妹は本願寺門主・光佐(顕如(けんにょ))夫人の如春尼です。一向宗の勢力を利用し加賀、越中で一向一揆を起こさせるなど上杉謙信の背後を脅かしました。
 円光院には信玄の寄進状や刀八毘沙門天が伝えられています。信玄が死に際に、馬場美濃守に命じて、軍陣の守本尊とした勝軍地蔵尊や愛用の茶器、茶釜、武田家源氏系図などを円光院に奉納した貴重な物も残されています。

 信親は生まれながらの盲目で、嫡男義信は父信玄に背いたとして東光寺に幽閉され自害、三男信之は早世と幸せな人生ではなかった三条夫人。「円光院殿梅岑宗大禅定尼」三条夫人の墓は昭和42年(1967)に山梨県指定史跡に指定されています。
三条夫人の墓


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