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山梨の旅と歴史
山梨の旅      甲府市

酒折宮
さかおりのみや
山梨県甲府市酒折3−1−13
Tel 055-231-2690


 景行天皇40年(110)、景行天皇は皇子日本武尊に蝦夷征伐を命じられました。陸奥国で戦わずして蝦夷を平定して、帰路、新治(茨城県真壁郡筑波)、甲斐国酒折宮、信濃国を経て、尾張国へ戻ったといわれています。
 東夷東征の帰途、日本武尊がこの地に立ち寄りました。塩海足尼(しおみたるに)は火打袋を賜り、尊の分身とし、奉祀したのが酒折宮の始まりといわれています。
 酒折行在中に、日本武尊は「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」(筑波から甲斐の国に来るまでいく晩寝ただろうか)と家臣らに歌いかけたところ、誰も答えるものがいなかったそうです。
 すると、身分の低い焚き火番の老人が、「日々(かが)並(なべ)て夜には九夜(ここのよ)、日には十日を」と歌い返したそうです。日本武尊は翁を褒めて東の国造(くにのみやつこ)に任命したと古事記には書かれているそうです。
 後年、この二人で一首の和歌を詠んだという伝説が、後世に「連歌発祥の地」とされた由縁になったそうです。連歌を「筑波の道」と呼ぶようになったのは、この故事が起因となったそうです。境内には本居宣長や平田篤胤、山県大弐といった石碑が数多く建立されています。


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