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山梨の旅と歴史
山梨の旅      甲州市

大善寺
だいぜんじ
山梨県甲州市勝沼町勝沼3559
Tel 0553-44-0027


 柏尾山大善寺は、真言宗智山派のお寺で本尊は薬師如来です。養老2年(718)、僧行基が甲斐の国を訪れたとき、勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修行していました。
 満願の日、夢の中に、右手に葡萄を持った薬師如来が現れたそうです。行基はその夢を喜び、早速夢の中に現れたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置して、このお寺を創建したということです。
 以来、行基は薬園をつくって民衆を救い、法薬の葡萄の作り方を村人に教えたので、この地に葡萄が 栽培されるようになり、これが甲州葡萄の始まりだと 伝えられています。本尊の薬師如来像の持物は失われていますが、元は右手に葡萄を持っていたといわれています。
 その後、聖武天皇から歴代朝廷の祈願所と定められ寺号を大善寺に改称し、寺運は隆盛しました。その後一時衰退しますが安元2年(1176)、高倉天皇の勅命により平清盛が再興しています。
 鎌倉時代に入ると幕府の保護を受けるようになり、13世紀前半には幕府の支援のもとでの勧進活動によって堂塔の修復や仏像の造立が行われ、寺運は隆盛でした。本堂の十二神将像(国指定重要文化財)はこの時に造られたものです。
 文永7年(1270)の火災で本堂は焼失し、その後正応4年(1291)に再建されたものが現在の国宝の本堂(薬師堂)です。文永。弘安の役で大勝した執権北条貞時が建立しました。脇侍は焼け残ったらしく、それが本堂に安置されている日光、月光菩薩像(共に国指定重要文化財)であると考えられています。

 甲斐領主の武田家からも庇護され、天文9年(1540)に本堂が暴風雨で倒壊すると、武田信玄が天文19年(1550)に修築しています。跡を継いだ武田勝頼は天正10年(1582)、織田信長の甲斐侵攻に際し、ここで戦勝祈願を行っています。
 勝頼の夫人は「西を出て東へ行きてのちの世の宿かしわをと頼る御仏」と、あらためての加護を念じました。しかし勝頼は岩殿城主小山田信茂の裏切りにより自決しました。一連の出来事はこの寺に庵を結んでいた信玄の叔父の勝沼氏の娘である理慶尼の記録に伝えられています。

 大善寺の本堂(薬師堂)は正応4年(1291)に建てられたもので、山梨県内最古の寺院建築として国宝に指定されています。桁行5間、梁間5間、単層寄棟造り、檜皮葺きです。屋根と軒を支える太い丸柱や、長押(なげし)、檜皮葺きの大屋根など鎌倉時代に建てられた典型的な和様建築です。
大善寺本堂(薬師堂)


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