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兵庫の旅と歴史
兵庫の旅    朝来市

赤淵神社
あかぶちじんじゃ
兵庫県朝来市(あさごし)和田山町枚田上山2014
Tel 079-672-3610


 赤淵神社は和田山の南方、内高山麓に建てられています。継体天皇25年(531)の創建と伝えられています。但馬・日下部氏の祖先神である赤淵足尼神・表米宿禰神と大海龍王神の3柱を祭神として祀っています。
 大化元年(645)、但馬の海岸に新羅の賊軍が来襲しました。日下部氏の祖・表米宿禰命が白糸の浜で敵を討破りましたが、船は沈没しそうになりました。その時に無数のアワビに助けられました。命はそのアワビを持ち帰り赤淵神社に祀ったそうです。
 赤淵足尼神は表米宿禰命の始祖で、大海龍王は海神で、アワビを使い難を救う神であったといわれています。赤淵神社は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として名を連ね、日下部氏の崇敬社として庇護されて繁栄しました。
 歴代領主であった八木氏や越前守護職であった朝倉氏も同族として赤淵神社を崇敬し、社殿の造営や修築、社領の寄進などして庇護しました。戦国時代に八木氏が没落し、羽柴秀吉も社領を認めなかった為に衰微しました。


赤淵神社本殿(国重文)
 赤淵神社の本殿は室町時代の中期、永徳から応永年間(1381-1427)頃に建てられたと推定されています。拝殿の奥の覆屋の中にあり、間口4.8m、奥行3.1m、 三間社流造り、こけら葺きです。元和8年(1622)、正保5年(1618)、寛文5年(1665)、元禄7年(1694)、元文5年(1740)、宝暦10年(1760)、天明5年(1785)に修理され、平成4年(1992)、履屋を含めた平成の大修理が完了しています。
赤淵神社本殿
 本殿は正面と両側面に高欄付縁をめぐらせています。身舎内部は内陣と外陣に分かれ、正面に格子をはめ、中央には階段を設けています。蟇股、懸魚、妻窓などに当時の建築様式を残しています。妻飾り下の板飾り・両妻の妻戸が開く形式などは珍しい建築様式です。昭和45年(1970)に国の重要文化財に指定されています。
赤淵神社本殿

赤淵神社勅使門
 赤淵神社の勅使門は寛政11年(1799)に再建された建物です。但馬では数少ない、立派な勅使門で、勅使参向の際に使われました。円形の丸柱に、 前後2本ずつの控柱を立てた四脚門形式で、切妻造り、桟瓦葺きです。
赤淵神社勅使門
 勅使門にはケヤキが使用されています。扉の上部に見られる鳳凰の透し彫りや、木鼻、蟇股などの見事な彫刻は丹波柏原の彫刻師・中井丈五郎、久須善兵衛によるものです。勅使門は平成21年(2009)に朝来市の有形文化財に指定されています。
勅使門

赤淵神社楼門
 神仏習合の名残が残る赤淵神社の楼門は文政13年(1830)に再建された建物です。この門は、かって赤淵神社の神宮寺であった神淵寺の山門だったそうです。四脚門様式、棒造りで、桟瓦葺きです。2階部分は高欄をめぐらし、勅使門と同じく透かし彫りや彫刻で華やかに飾られています。
赤淵神社楼門
  威風堂々としたたたずまいで、随所に丹波柏原の彫刻師・中井権次による見事な彫刻が施されています。2階の内部にはかって大般若経が納められていたそうです。この楼門をくぐると除疫福徳の効があると伝えられています。楼門は平成21年(2009)に朝来市の有形文化財に指定されています。
赤淵神社楼門


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