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兵庫の旅と歴史
兵庫の旅    姫路市

姫路城
ひめじじょう
兵庫県姫路市本町68
Tel 079-285-1146


 世界遺産で国宝の姫路城は、日本を代表する最も完成された城郭建築です。木造城郭建築群と石造りの城壁、白色の土塀から構成される構造が最もよく残っています。しかも、長い歴史の中で一度も戦や火災に巻き込まれることなく、現在にその姿を伝えているのです。
 今日に見る姫路城の全容を整えたのは本多忠政だといわれています。元和4年(1618)長男忠刻とその室千姫(豊臣秀頼に嫁ぎ落城の際助けられた徳川秀忠の長女)のために、西の丸を整備して、現在の規模にしたということです。
 姫路城は播磨の守護職赤松則村が元弘3年(1333)ここに砦を築き、その子貞範が正平元年(1346)城を構えたことに始まりました。そして戦国期は領主は小寺氏が領主でした。小寺氏は天文14年(1545)御着城に移り姫路城は家老の黒田重隆に守らせました。
 重隆の孫が黒田官兵衛孝高、後の黒田如水です。如水は早くから、信長、秀吉へ恭順の意を明らかにし、姫路城を秀吉に献じ自らは別の城に移りました。羽柴秀吉が天正8年(1580)西国攻略の際、如水の進言によりここを根拠地とし、翌9年3層の天守閣を完成させました。 
 天正8年(1580)秀吉が池田輝政、黒田孝高を普請奉行に任じ拡張工事を行ない。巨大な要塞にしました。羽柴秀長、木下家定と続き、関が原の役後、徳川家康の女婿池田輝政(52万石)が入封しました。池田氏は3代続きました。
 池田氏が鳥取に転封となると、伊勢から本多氏が入城しました。本多忠政は今日に見る姫路城の全容を整えました。その後、城主は松平氏、榊原氏と変わり、寛永3年(1749)酒井忠恭が入城後は10代120年にわたって酒井氏がここを治め明治維新を迎えました。
 城構えは、本丸を中心に二の丸、三の丸、西の丸を配し、これを囲んで内曲輪(くるわ)、中曲輪、外曲輪を螺旋状にめぐらしています。これらの縄張りは複雑で巧妙に仕上げられており、日本における諸城の中で抜きん出ています。
 櫓、多聞に設けられた各種の狭間(はざま)、無数とも思える城門を上下、左右に配置した防備の厳重さは、卓越した築城手腕をうかがわせ、日本一の名城と呼ばれるにふさわしい見事なものです。
 大天守の北には東小天守、西には西小天守、北西には乾小天守が配され、それらを渡櫓(わたりやぐら)で結んでいます。これらはいずれも国宝に指定されています。他にも菱の門、太鼓、西の丸の化粧櫓など74もの建物が国の重要文化財に指定され、城郭全域が国の指定特別史跡になっています。

 姫路城大天守は外観5重、地下1階を含む内部7階、本瓦葺きで、本丸にそびえたっています。東小天守、西小天守、乾小天守と渡櫓でつながれた連立天守郭で、高さは31.8mあり、石垣まで含めると46m以上の大構築物です。
姫路城大天守
 大天守は入母屋や千鳥破風、唐破風などが巧みに配置され、白漆喰総塗籠(しろしっくいそうぬりごめ)の外壁と調和して、優雅で気高い威容をつくり出しています。白漆喰の城壁の美しさから白鷺城とも呼ばれています。
姫路城大天守
 大天守は日本における城郭建築最盛期を代表するもので、小天守などとともに昭和26年(1951)に国宝に指定されています。天守閣からの眺めはすばらしく、西に名古山、南に手柄山から播磨灘、北に書写山、広峯山などが一望に見渡せます。
姫路城大天守

 姫路城の東小天守は大天守の北に位置しています。3重3階地下1階、本瓦葺きで、南面は「イの渡櫓」に、西面は「ロの渡櫓」に接続しています。慶長14年(1609)頃、完成されたとみられています。昭和26年(1951)に国宝に指定されています。
姫路城東小天守
 姫路城の東小天守は西小天守や乾小天守と同じく二重の櫓部の上に望楼部をのせています。外観上は完全に一体化していて、唐破風や火灯窓などは備えていません。東小天守回廊から他の櫓へ行くことができるようになっています。
東小天守回廊

 姫路城の西小天守は大天守の西南に位置しています。3重3階地下2階、本瓦葺きで、東面は「ニの渡櫓」に、北面は「ハの渡櫓」に接続し、地階東面に「水六門」を備えて出入口としています。南面は中央に軒唐破風を設けています。3重に黒漆塗り・錺金具打ちの火灯窓を2所設け、意匠を凝らしています。昭和26年(1951)に国宝に指定されています。
姫路城西小天守

 乾小天守は大天守の西北に位置しています。3重4階地下1階、本瓦葺きで、東面は「ロの渡櫓」に、南面は「ハの渡櫓」に接続しています。1重の西面に軒唐破風を設け、3重の南面と西面に黒漆塗り・錺金具打ちの火灯窓を2ヶ所ずつ設けていて、西面を中心に意匠を凝らしています。昭和26年(1951)に国宝に指定されています。
姫路城乾小天守

 ニの渡櫓は東面で大天守に、西面で西小天守に接続しています。建物の高さは9.68m、建物面積56.784平方m(17.177坪)です。1階に水五門を設けています。他の渡櫓とともに、昭和26年(1951)に国宝に指定されています。
姫路城二の渡櫓

 水五門は天守閣を守る重要な門でした。鉄板張りの頑丈なもので暗い六門から大天守の玄関扉へ入る厳重な二重戸になっています。水五門やニの渡櫓の1階の材が大天守と西小天守の石垣にとりつく状態から、天守群の中で最後につくられたものと考えられています。
水五の門

 姫路城の西の丸は2代将軍秀忠の長女「千姫」ゆかりの場所です。豊臣秀頼に嫁いだ千姫は大阪落城のあと、本田忠刻に再嫁し、西の丸で過ごしました。化粧櫓や長局(百間廊下)などに名残をとどめています。西の丸の化粧櫓などは国の重要文化財に指定されています。
姫路城西の丸櫓

 姫路城の石垣は扇を開いたように美しい曲線美を見せています。野面積みの石垣も角石は大きな長方形の石を左右交互に積む算木積みになっています。
姫路城石垣

 桜門橋は幅7m、長さ22mの橋で、平成19年に完成しました。発掘調査で出土した橋台の遺構を活かしながら、江戸時代の木橋をイメージして築かれたものです。大手門に内濠を渡るために架けられた木橋です。
桜門橋

 姫路城内には「お菊井戸」があります。女中のお菊はお家乗っ取りの企てを知り、城主の難を救いました。家老はそれを根に持ち、家宝の皿一枚を隠してお菊を責め、井戸に投げ込んだという話です。
お菊井戸


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