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兵庫の旅と歴史
兵庫の旅    加古川市

鶴林寺
かくりんじ
兵庫県加古川市加古川町北在家424
Tel 079-454-7053


 刀田山(とたさん)鶴林寺は聖徳太子が開いたとされる天台宗の古刹で、「刀田の太子さん」と親しみを持って呼ばれています。西の法隆寺と称され、本堂と太子堂は、国宝に指定され、行者堂、護摩堂、鐘楼、常行堂は国の重要文化財に指定されています。
 565年に、高麗より来朝した恵便(えべん)という高僧が仏教を広めるため我が国へ来ました。 当時の我が国では、仏教をめぐって蘇我氏と物部氏が対立していました。物部氏は、兵を出して恵便をとらえようとしましたが恵便はあちこちと逃げ、現在の鶴林寺のあたりに身を隠しました。 
 聖徳太子は、恵便に仏教の教えを受けようとこの地を訪れ「木の丸殿」という丸太造りの御殿で教えを受けたそうです。589年、物部氏が倒され、四天王寺聖霊院という三間四面の精舎が建立され、釈迦三尊と四天王を祀りました。これが「鶴林寺」の始まりであると伝えられています。
 養老2年(718)、武蔵国の大目(だいさかん、国司の役職)であった身人部春則(むとべはるのり)が太子の遺徳を顕彰するため、寺域を拡張し、七堂伽藍に整備しました。この時、刀田山四天王寺と改められたそうです。仁寿2年(852)、第3代天台座主円仁(慈覚大師)が中国に渡る際、寺へ立ち寄り立願成就のため諸堂の修理を行いました。この時に刀田山は天台宗に改宗したそうです。
 天永3年(1112)、鳥羽天皇は刀田山を勅願寺に定め、「鶴林寺」の扁額を下賜しました。太子堂はこの年に建てられたようです。太子信仰が高まり鎌倉・室町時代には、寺坊は30数ヶ坊、寺領2万5千石にのぼり繁栄したそうです。。
 信長、秀吉による宗教弾圧で疲弊し、続く江戸時代の政策で8カ坊、117石に激減、明治維新の排仏棄釈で宝生院、浄心院、真光院の3カ寺だけとなりました。しかし現在、堂塔16棟をはじめ、国宝2、重要文化財18、県指定文化財10、市指定文化財16、寺宝200余点を残しています。


 鶴林寺の本堂は明治34年(1901)に国宝に指定されています。堂内の宮殿(くうでん、厨子)の棟札(むなふだ)2枚も附属で指定されています。間口7間、奥行6間、単層、本瓦葺きの入母屋造りです。棟札銘から室町時代中期の応永4年(1397)に建立されています。
鶴林寺本堂
 本堂の軒の組物は二手先、垂木は平行垂木で、日本古来の建築様式である和様を基調としています。そこに反った屋根や、建具が全て桟唐戸など、大陸伝来の禅宗様が加わっています。蟇股の上に双斗(ふたつど)が乗り、一部の斗には皿板が付く皿斗であるなど、大仏様の要素も加わっていて折衷様建築になっています。
鶴林寺本堂
 本堂内部は、手前3間が礼拝の為の外陣で、後ろより3間が仏像を安置するための内陣(宮殿)になっています。内陣の左右には1間幅の脇陣があります。内陣には3間幅の須弥檀と厨子が据えられ、秘仏本尊の薬師三尊像と二天像(ともに国指定重要文化財)を安置しています。
鶴林寺本堂

 鶴林寺の太子堂も明治34年(1901)に国宝に指定されています。堂内に聖徳太子の壁画像があることから太子堂と呼ばれていますが、本来は「法華堂」と称されました。太子信仰が盛んとなった鎌倉時代、法華堂の壁に聖徳太子の肖像が描かれ、以降は太子堂と呼ばれるようになったようです。
鶴林寺太子堂
 間口3間、奥行3間、檜皮葺きの宝形造りで、正面1間に通り庇を付けて縋破風(すがるはふ)の庇を葺き下ろしています。屋根板の墨書から天永3年(1112)に建立されていることが判明しています。堂内の中央には須弥檀が置かれ、釈迦三尊像(国指定重要文化財)が祀られています。
鶴林寺太子堂

 鶴林寺の行者堂は室町時代中期の応永13年(1406)に建てられています。当初は鶴林寺鎮守の山王権現(さんのうごんげん)を祀っていました。一間社隅木入春日造り、背面入母屋造りにした建物で、本瓦葺きです。昭和5年(1930)に国の重要文化財に指定されています。
鶴林寺行者堂

 鶴林寺の護摩堂は室町時代の永禄6年(1563)に建てられています。間口3間、奥行3間の三間四方の単層の入母屋造り、本瓦葺きです。明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。護摩堂は火炉で護摩木を焚く場所です。鶴林寺の護摩堂は柱上の斗組を省略した簡素な小堂で、外部が和様、内部が禅宗様の折衷様式で造られています。
鶴林寺護摩堂

 鶴林寺の鐘楼は室町時代の応永14年(1407)に建立されています。間口3間、奥行2間、袴腰付で、入母屋造り、本瓦葺きです。明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。青銅製の梵鐘は朝鮮・高麗時代に鋳造されたもので、これも国指定重要文化財です。黄鐘調(おうしきちょう)といわれる澄んだ高い音色を出すそうです。
鶴林寺鐘楼

 鶴林寺の常行堂は平安時代の後期に建立され、現存する日本最古の常行堂といわれています。間口4間、奥行3間、単層、寄棟造り、妻入、本瓦葺きです。全体に簡素な造りで、組物は大斗肘木です。屋根は当初は太子堂と同じ檜皮葺きでしたが、永禄9年(1566)に本瓦に葺きかえられています。明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。
鶴林寺常行堂

 鶴林寺の三重塔は高さ18m、本瓦葺きの3間三重塔です。塔の建立年ははっきりしませんが建築様式から室町時代のものと推測されています。その後、江戸時代の文政年間(1818-1830)に大修理が施され、初重の大部分はこの時に新しく造り直されたようです。塔は、基壇の上に建ち、高欄のない縁を廻らしています。中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは三間とも間斗束があります。内部は四天柱内に須弥壇があり、壇上には本尊の大日如来を安置しています。昭和51年(1976)に放火によって内部を焼損しましたが、昭和55年(1980)に修理を終えています。この三重塔は兵庫県の有形文化財に指定されています。
鶴林寺三重塔

 鶴林寺の仁王門は大門とも呼ばれる正門で、寛文12年(1672)に建立されています。3間1戸の楼門形式で、入母屋造り、本瓦葺きです。屋根と縁張り出しが美しく、兵庫県の有形文化財に指定されています。
鶴林寺仁王門

 鶴林寺の観音堂は宝永2年(1705)に姫路藩主榊原政邦の寄進により再興された建物です。間口3間、奥行3間、1間の向拝がある入母屋造り、単層、本瓦葺きです。昔は白鳳時代の聖観音像が安置されていました。明治維新後の神仏分離の後は浜の宮神社の本地仏で秘仏の聖観音を安置しています。
鶴林寺観音堂


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