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兵庫の旅と歴史
兵庫の旅    加東市

朝光寺
ちょうこうじ
兵庫県加東市畑609
Tel 0795-44-0735


 鹿野山(ろくやさん)朝光寺は高野山真言宗の古刹です。白雉2年(651)法道仙人の開創と伝えられています。当初は権現山にあり、朝がくるたびに霊木が光を放ったので朝光寺という名になったそうです。
 寿永3年(1184)に源義経が平資盛(すけもり)を夜襲で破った「三草山の戦い」で朝光寺付近は戦場となり多大な被害を受けたそうです。そのため、文治5年(1189)に現在の地に新たに建立されました。
 寺伝によると、永正年間(1504-1520)に播磨の守護大名であった赤松義村によって伽藍が修復されました。また播磨姫路藩の初代藩主の池田輝政は朝光寺を深く崇敬し、慶長6年(1601)には多宝塔を再建しています。寺運も隆盛し坊舎も50を数えたそうです。
 朝光寺の本堂は国宝に指定され、鐘楼は国の重要文化財です。5月5日に朝光寺境内で執り行う「鬼追踊」は、かつては「般若踊」として「和漢三才図絵」に紹介され、古来より広く知られる伝統の行事です。兵庫県の無形民俗文化財に指定されています。

 朝光寺の本堂は間口7間、奥行7間、単層、寄棟造り、本瓦葺きで、応永20年(1413)に建立されています。昭和29年(1954)に国宝に指定されました。本堂内にある厨子の墨書から応永20年に京都の三十三間堂から千手観音像一体を譲り受けて本尊として祀った事が記されています。厨子も本堂と同じ時に作られ、本堂の附指定で、同じく国宝に指定されています。
朝光寺本堂
 本堂は19.57m四方と大きな建物です。3間の向拝が付いていますが、これは文政12年(1829)に改造されたものです。礼拝のための外陣があり、その奥に仏像を安置する内陣があります。内陣の三方を取り囲むように1間幅の脇間が設けられています。
朝光寺本堂
 外陣と内陣の間には格子戸と菱欄間があり、人と仏の空間を厳密に区分しています。和様を基調としていますが、扉の桟唐戸や組物中備の双斗などには唐様を取り入れています。密教寺院の折衷様の典型ともいうべき貴重な建物で、鶴林寺本堂とともに折衷様の終末期を代表する建物です。
朝光寺本堂
 朝光寺の本尊は2体の十一面千手千眼観音像です。2体とも秘仏として本堂の厨子内に祀られています。向かって右側に安置されている東本尊は、権現山の山頂から現在地に移された際に安置されたもので、平安時代後期の作とみられます。左側に安置されている西本尊が三十三間堂から譲り受けた千手観音像です。
朝光寺本堂

 寄棟造りの鐘楼は間口3間、奥行2間、4柱造り、鋼板葺き、袴腰付きの建物で、鎌倉時代後期、本堂よりも早い時期に建てられたと推察されています。昭和29年(1954)に国の重要文化財に指定されています。
朝光寺鐘楼
 和様を基調とする様式手法で、屋根の優美な曲線などに鎌倉後期の建築の特徴が見受けられます。永正年間(1504-1520)に播磨の守護大名であった赤松義村によって伽藍が修復され、鐘楼も修復されたようです。
朝光寺鐘楼

 本堂の南東に高さ約15mの朝光寺の多宝塔が建てられています。本瓦葺きで内部には釈迦、多宝如来を安置しています。文治年間(1185-1190)に創建され、現在の建物は慶長6年(1601)に姫路藩主池田輝政によって再建されたものです。 兵庫県の有形文化財に指定されています。
朝光寺多宝塔

 朝光寺の仁王門は入母屋造り、本瓦葺き、3間1斗の八脚門です。文治年間(1185-1189)の建物とみられ、江戸初期から中期の様式を示しています。加東市の有形文化財に指定されています。昭和59年(1984)に屋根の葺き替えなどの大修理が行われています。
朝光寺仁王門

 仁王門の下方に落差6mほどのツクバネの滝があります。鹿野川にかかる滝で、朝光寺周辺に多く自生しているツクバネから名づけられたようです。ツクバネは果実が羽子板でつく羽に似ていることから衝羽根(つくばね)といわれるようになったそうです。東播磨・加古川水の新百景の一つに選ばれています。
ツクバネの滝


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