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兵庫の旅と歴史
兵庫の旅    小野市

浄土寺
じょうどじ
兵庫県小野市浄谷町1951
Tel 0794-62-4318


 極楽山浄土寺は高野山真言宗の古刹です。7世紀後半に聖武天皇の勅願により行基がここに廣渡寺を創建し、建久年間(1190-98)に東大寺を再興した俊乗坊重源が浄土寺と改称し開創しました。
 重源は東大寺大勧進職として奈良東大寺を復興させた人で、復興の拠点の一つとして繁栄し、最盛期には播磨高野と称され、14の子院を擁する大寺となりました。現在では歓喜院(南寺)、宝持院(北寺)の2院が残っています。
 境内の中央には国の重要文化財の八幡神社本殿、拝殿があります。池をはさんで国宝の浄土堂と国の重要文化財で本堂でもある薬師堂が向かい合っているという珍しい配置となっています。鐘楼堂、開山堂は兵庫県の有形文化財に指定されています。
 境内の配置は八幡の本地が阿弥陀如来であるという本地垂迹(すいじゃく)説を意識して重源が考えたと推察されます。日本では古い日本の神は神像を持っていませんでした。仏教が入ってくると神仏習合の思想が進み、インドの本地仏(ほんちぶつ)が神として仮の姿を表すことになったのです。


 浄土堂は間口3間、奥行3間、屋根は本瓦葺きの宝形造りです。1間の幅が20尺(約6m)と広く、規模の大きな建物です。建久5年(1197)に上棟した建物で、数少ない大仏様(天竺様)建築の遺構として知られ、明治34年(1901)に国宝に指定されています。屋根の隅棟の稜線は反りがなく直線的です。内部には天井を張らずに屋根材を意匠的に見せています。。
浄土寺浄土堂
 浄土堂の柱にはエンタシスの技法が使われています。天井が高く見えるよう、上部に行くにつれ先細りさせているのです。重源が宋で学んだ大仏様(天竺様)という建築技法で、太い円柱に差し込まれた肘木、それにかかる虹梁、鼻隠板を打った軒などにその特徴が伺えます。東大寺南大門とともに大仏様を伝える貴重な建物で、お堂としてはわが国唯一のものです。
浄土寺浄土堂
 内部に安置されている阿弥陀三尊像は丈六の巨木木像で、建久6年(1195)に快慶が彫り上げたものです。阿弥陀如来像は530cm、両脇侍像は370cmです。背後の蔀戸(しとみど)からさしこむ西日が床に落ち、その反射を背景に、西方浄土から雲に乗り、早来迎される阿弥陀三尊像を拝することができるそうです。阿弥陀三尊像は明治34年(1901)に国宝に指定されています。
浄土寺浄土堂

 浄土寺の本堂は薬師如来像を安置していたことから薬師堂とも呼ばれます。その薬師如来は廃寺となった廣渡寺の本尊だったそうです。間口5間、奥行5間の宝形造り、本瓦葺きで、外観は浄土堂とよく似ています。建久8年(1197)に建立された時は、浄土堂と同じく大仏様(天竺様)の建物だったようです。
浄土寺本堂
 明応7年(1498)に焼失したため、永正14年(1517)に再建されたのが現在の建物です。大仏様を基調としていますが、和様と唐様が加味されています。この時期の折衷様式を示す室町時代の貴重な寺院本堂建築で、昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。
浄土寺本堂

 八幡神社は浄土寺の鎮守社です。社殿は浄土寺の伽藍配置の中央正面に主要な伽藍の一つとして配されています。この頃、本地垂述説が盛んであったため、きわめてめずらしい配置になったようです。八幡神社本殿は嘉禎元年(1235)に建立されました。その後、室町時代中期に再建されたのが現在の建物です。
浄土寺八幡神社本殿
 八幡神社本殿は三間社、流造り、檜皮葺きです。正面3間の向拝には浜縁を設け、中央に階段と登高欄を設けています。向拝と身舎(もや)の間に虹梁がなく、手挟(たばさみ)が配されています。色彩が施された蟇股の図柄も左右対称で室町時代中期の特徴をよく表しています。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
浄土寺八幡神社本殿

 八幡神社拝殿は割拝殿という横長床張りの中央に土間を通した形式です。縁起によると延応元年(1239)に造立されたといわれています。現在の建物は鎌倉時代末頃に再建されたものと推察されています。それでも割拝殿としては兵庫県で最も古い建物になるそうです。
浄土寺八幡神社拝殿
 八幡神社拝殿は、間口7間、奥行3間、寄棟造り、本瓦葺きです。外壁は無く、中央が通路となっています。大仏様式の中に虹梁や木鼻などの彫刻に和様、唐様、天竺様の折衷様式が見られます。昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。
浄土寺八幡神社拝殿

 浄土寺の鐘楼堂は寛永9年(1632)に加東郡河合郷新部村の粟津七右衛門によって再建された建物です。歓喜院が所蔵する「粟津七右衛門位牌厨子扉裏の誌文」に記されています。和様を基調とし、部分的に唐様を混合した技法で造られています。
浄土寺鐘楼堂
 鐘楼堂は入母屋造り 本瓦葺き、袴腰付きの鐘楼で上層部には高欄を廻らせています。江戸時代の初期に建てられた鐘楼建築の遺構として貴重なことから昭和47年(1972)に兵庫県の有形文化財に指定されています。
浄土寺鐘楼堂

 開山堂は浄土寺を開山した重源上人座像が安置されています。この像には天福2年(1234)の墨書銘が残されています。現在の開山堂は明応7年(1498)の火災で焼失後の永正17年(1520)に再建された建物です。間口3間、奥行3間の宝形造りの本瓦葺きで、正面1間分は吹き放しとなっています。昭和47年(1972)に兵庫県の有形文化財に指定されています。
浄土寺開山堂

 不動堂は拝殿の東側にあり、不動尊を祀るお堂です。間口3間、奥行3間の宝形造りで、桟瓦葺きです。不動堂の北側より裏山に江戸後期(文化・文政年間ごろ)に造られた浄土寺裏山四国八十八ヶ所巡りのコースがあります。88体の本尊石祠の脇に弘法大師が祀られ、各石祠には大部荘・垂井荘を中心とした施主・願主の名前が刻まれています。
浄土寺不動堂

 浄土寺にある芭蕉の句碑は浄土寺境内に南面して建っています。高さ1.4mの自然石の碑です。文化9年(1812)、俳句の関係者が建てたもので、「すずしさは 飛騨の匠の 指図哉」と刻まれています。 
浄土寺芭蕉句碑


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