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兵庫の旅と歴史
兵庫の旅    揖保郡太子町

斑鳩寺
いかるがでら
兵庫県揖保郡太子町鵤709
Tel 079-276-0022


 推古天皇14年(604)、聖徳太子は、飛鳥の豊浦宮、今の橘寺において、推古天皇のために勝鬘経・法華経を講じ、これに感じた天皇から播磨国揖保の水田百町を寄進されたと日本書紀に記されています。太子はこの地を斑鳩寺(奈良法隆寺)に納め、平安時代に法隆寺の荘園となり聖徳太子の聖霊地として保護されました。平安後期に法隆寺によって太子の聖地であるこの地に伽藍が建立されました。これが斑鳩寺の始まりです。
 往古には、七堂伽藍、数十の坊庵がある壮大な寺で壮麗を極めましたが、天文10年(1541)、守護大名である赤松氏、山名氏、出雲の尼子氏との争いで戦禍を受け灰燼に帰しました。その後、円光院昌仙らが龍野城主赤松下野守正秀らの援助を受け、永禄年間(1558-70)までにほぼ再建しました。
 長い間、法隆寺の支院でしたが江戸時代に入ってからは天台宗へ改宗しました。寺域は1万7800平方mあり、現在でも「お太子さん」として広く信仰を集めています。仁王門を入ると正面に講堂、左側に聖徳殿、右側に三重塔(国指定重要文化財)があります。今の伽藍配置は創建時と変わっていないそうです。



 聖徳殿に対峙するように三重塔が建っています。方三間、本瓦葺きの三重塔です。一辺は4.64m、高さは24.85mです。天文10年(1541)、斑鳩寺全焼の後、永禄8年(1565)再建された塔です。斑鳩寺の伽藍の中で最古の建物で、昭和3年(1928)に国の重要文化財に指定されています。塔は、四方に石段があり、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらしています。中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは三間とも蓑束です。二層部は軒は二軒繁垂木、組物は三手先、中備えは中央間のみ間斗束です。三層部は、軒は二軒繁垂木、組物は三手先です。
斑鳩寺三重塔
 輪柱には太子伝来の仏舎利が納められているそうです。露盤には永禄5年(1562)に龍野城主赤松下野守正秀が天下太平を祈願して発願したという銘文が刻まれています。均斉がとれた壮麗な古塔です。
斑鳩寺三重塔

 聖徳殿前殿は聖徳太子立像を祀っていた太子堂です。前殿は間口5間、奥行5間、単層、向拝1間付きの入母屋造り、本瓦葺きの建物です。天文20年(1551)に再建され、寛文5年(1665)に修造されされた建物です。内部中央の3間四方を内陣としており、斑鳩寺で最も重要な堂宇です。
斑鳩寺聖徳殿前殿
 嘉暦4年(1329)の鵤荘絵図に前殿は描かれています。永正16年(1519)に政所僧が寺の門を閉め、太子堂に立てこもり、赤松氏の兵が鵤荘に入るのを阻止したとの記録があるそうです。平成18年(2006)に兵庫県の有形文化財に指定されています。
斑鳩寺聖徳殿前殿

 聖徳殿後殿は法隆寺夢殿を模して作られたという八角円堂です。奥殿は大正5年(1916)に増築竣成された比較的新しい建物です。聖徳太子16才のとき、父の用明天皇の病気平癒を祈り、自らの髪を切って植えたとされる「聖徳太子立像」を安置しています。平成19年(2007)に国の登録有形文化財に指定されています。
斑鳩寺聖徳殿後殿
 聖徳殿後殿は木造平屋建て、銅板葺きで建築面積212平方mです。3層の屋根を重ねた八角円堂の形をしていて、中殿取合い部の南北に入母屋造り翼部を突出しています。上層は三手先に扇垂木、中間の庇は平三斗に疎垂木、下層は出組に繁垂木と変化を付けています。内部は中殿に面して唐破風を飾り、中央には厨子があります。平成25年(2103)に銅板屋根のふき替え工事が完了し、落慶法要が営まれています。
斑鳩寺聖徳殿後殿

 斑鳩寺聖徳殿中殿は木造平屋建て、瓦葺き、建築面積73平方mで、大正5年(1916)に増築竣成され、平成19年(2007)に国の登録有形文化財に指定されました。中殿は前殿と後殿をつないでいます。奥行4間の身舎が二重折上格天井の内陣で、両側面の裳階は廊下としています。両妻の柱は前殿と後殿の柱を兼用しています。
斑鳩寺聖徳殿中殿

 斑鳩寺講堂は、弘治2年(1556)に再建され、明和6年(1765)に再修造されています。国指定重要文化財の釈迦如来像・薬師如来像・如意輪観音像の三尊を本尊として祀っています、丈六の巨大な三体の座像で止利仏師一刀三礼の作ともいわれますが、室町時代の斑鳩寺復興時の造立と思われます。着衣の形式などが古様で、飛鳥時代の古像を手本に造られたものと推定されています。
斑鳩寺講堂


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