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兵庫の旅と歴史
兵庫の旅    高砂市

高砂神社
たかさごじんじゃ
兵庫県高砂市高砂町東宮町190
Tel 079-442-0160


 高砂神社は、社伝によれば神功皇后が外征のとき、大己貴命(おおむなちのみこと)の神助を得て敵を平らげ、帰途この地に国家鎖護のために大己貴命を祭られたのが始まりだということです。
 天禄年間(970-972)に日本国内に疫病が流行しました。神託によって素盞嗚命(すさのうのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を合わせ祀ったところ、疫病が収まり、庶民は喜んでお礼参りをしたそうです。

 武将の崇敬が厚く、安和元年(968)源満仲が社殿を造営、正慶年間(1332-34)には赤松則村が社領を寄進しています。文禄元年(1592)豊臣秀吉は、朝鮮出兵の時、高砂神社に参拝し戦勝を祈願したと伝えられています。
 慶長6年(1601)姫路城主の池田輝政は高砂城築城のため、西北の松林に遷座しました。元和5年(1619)京都所司代板倉勝重は所領10石を寄進、天樹院(千姫)をはじめ、多くの武将、貴人、学者、詩人、歌人、俳人がこの神社を歴訪しています。

 元和元年(1615)に出された幕府による一国一城令により高砂城が廃城になり、寛永2年(1625)、本多忠政が高砂神社を旧社地に再建し、にぎやかな遷座祭を行ったそうです。
 高砂神社は「高砂やーこの浦舟に帆を上げてーー」で有名なおめでたい謡曲「高砂」で知られる由緒ある神社です。境内には縁結びの象徴として有名な「相生の松」があります。

 創建まもなく境内に生え出たのがこの相生の松だと伝えられています。根は一つで雄雌の幹が左右に分かれていたのでそれを見た人々が神木霊松などと称えていたところ、ある日、「尉と姥」の二神が現われて「我は今より神霊をこの木に宿し世に夫婦の道を示さん」と告げられました。この時より人々により「相生の霊松」と呼ばれるようになりました。この松を前にして結婚式を挙げるようになったそうです。
相生の松
 姫路城主本田忠政は相生の松の枯死を惜しみ三代目相生の松を継植しました。大正13年(1924)に天然記念物に指定されましたが昭和12年(1937)松食い虫に冒され、その幹だけ相生古霊松舎に名残をとどめています。
相生の松


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