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兵庫の旅と歴史
兵庫の旅    豊岡市出石町

出石城
いずしじょう
兵庫県豊岡市出石町内町


 出石城は、慶長4年(1604)に小出吉英が町の南側にある有子山(ありこやま)の山すそに築きました。山名氏城跡の一部で国の文化財に指定されています。
 出石城の登城門です。本丸跡の角櫓も復元されたものです。旧本丸、二の丸、三の丸の石垣が当時を偲ばせます。
 有子山の山頂には天正2年(1574)山名氏政が築城した高城跡があり、山麓には小出吉英が築いた平山城が明治まで存続していたそうです。
 山名祐豊(すけとよ)は織田方の羽柴秀吉軍に攻められ此隅山城は落城しました。城を移して「有子」と名付けたそうです。「子盗」(此隅)という名を嫌って縁起を担いだようです。
 天正8年(1580)秀吉の弟秀長により有子山城も落城し因幡に敗走し、織田方の管理になり、ふもとに出石城が築城され有子山城は廃城になったようです。
 城址には昭和43年に再建された東西隅櫓や157段の石段を上ったところにある有子山稲荷神社、仙石氏の藩祖で石川五右衛門を捕らえた豪傑として知られる仙石権兵衛秀久を祀る感応殿などがあります。
 仙石秀久は秀吉の四国征伐の際には秀吉軍の総大将羽柴秀長と共に数々の城を攻略し、讃岐10万石を拝領しました。九州征伐で失策し真っ先に逃げた為、秀吉の怒りを買い、所領を没収され高野山に謹慎させられました。
 小田原の役の時に徳川家康を頼って参陣、甲冑に鈴をつけて走り回り秀吉の許しを得、信濃小諸城5万石となり、名誉を回復したそうです。


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