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京都の旅と歴史
京都の旅    綾部市

光明寺
こうみょうじ
京都府綾部市睦寄町君尾1−1
Tel 0773-55-0550


 君尾山(きみのおさん)光明寺は真言宗醍醐派のお寺です。推古天皇7年(599)、聖徳太子によって創建されたと伝えられています。役行者がこの地で修業し、延喜年間(901-923)には聖宝理源大師が真言宗の大道場として中興しています。
 盛時は72坊を数え、室町時代は丹波守護の細川氏の庇護を受けました。大永7年(1527)、兵火により二王門を除く全山が焼失し、天文2年(1533)に上羽丹波守が大施主になって再建しました。しかし、元亀3年(1572)と天正7年(1579)の明智光秀の兵火で再び焼失しました。
 慶長6年(1601)に領主となった藤懸永勝によって堂宇や鐘楼が再建されました。享保18年(1733)に火災があり、山下の23坊も焼失しています。明治初頭には山上に残っていた4坊もなくなり、大正3年(1914)には庫裏、方丈、客殿を焼失しました。
 二王門は鎌倉時代に建てられた二重門で国宝に指定されています。天保7年(1836)に再建された本堂は、応永17年(1410)の鰐口、室町時代の光明寺制札とともに京都府指定文化財です。 また南北朝時代の宝篋印塔と、室町時代の紙本墨書勧進帳奉加帳は綾部市指定文化財です。


光明寺二王門(国宝)
 光明寺の二王門は丹塗りの色彩が味わい深い二重門(下層と上層の境に屋根がある門)です。三間一戸、入母屋造り、とち葺きで、鎌倉時代の仁治3年(1242)に着工され、宝治2年(1248)に建立されています。昭和29年、京都府北部の建造物としては唯一国宝に指定されました。
光明寺二王門
 仁王門は永正13年(1516)、享保14年(1729)、安政6年(1859)に改修されています。昭和20年頃には大破寸前で、昭和25年から27年にかけて解体修理が行われました。その際に上層の柱から宝治二年(1248)の墨書銘が発見されました。この門には10枚の巡礼札が納められ、四国33ケ所観音霊場した僧の活動がわかります。
光明寺二王門

光明寺本堂
 現在の光明寺の本堂は天保7年(1836)に藤懸氏の援助で再建された建物です。正面の鰐口には「応永17年(1410)」の銘があります。本堂と鰐口は京都府指定文化財に指定されています。
光明寺本堂

八十八ケ所の石像
 八十八体の石仏が安置されている小さなお堂があります。文政8年(1825)に近くの住民が日々の安寧と子々孫々の繁栄を祈願して寄進したものです。四国88寺の本尊が刻まれていて、お堂の前で手を合わせれば霊場を参拝したのと同じご利益があるそうです。
八十八ケ所石像



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