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京都の旅と歴史
京都の旅    亀岡市

金輪寺
きんりんじ
京都府亀岡市宮前町宮川神尾山3
Tel 0771-26-2142


 神尾山(かみおさん)金輪寺は天台宗系の修験道の一派である本山修験宗のお寺です。寺伝によると、延暦2年(783)西願上人により天台宗の寺として創建されました。その後、荒廃し、寛治年間(1087-93)に高山寺の明恵上人により再興されています。
 寺運は繁栄し、南谷、北谷に一切経蔵ほか多くの坊舎が建ち並んでいたそうです。境内の裏に、大永6年(1526)に細川尹賢によって神尾山城が築かれ、丹波攻めの拠点になりました。そのため天正5年(1577)、兵火により堂宇の大半は焼失しました。
 金輪寺の本堂前には国の重要文化財に指定されている鎌倉期の五重石塔をはじめ、九重石塔、正安3年(1301)銘の金剛力士像、鎌倉期の仏涅槃図、永徳2年(1382)銘の鰐口、天文3年(1534)銘の梵鐘など、豊富な文化財を所蔵しています。本尊の薬師如来像は江戸時代作の秘仏で、30年に一度開帳されます。


金輪寺五重石塔(国重文)
 金輪寺の五重石塔は、鎌倉時代の延応2年(1240)に造られたと思われます。高さ3.7m、花崗岩でできていて、初層軸部に舟形光背、蓮華座上に四方仏を半肉彫りにしています。金輪寺五重塔として昭和32年(1957)に国の重要文化財に指定されています。
金輪寺五重石塔

金輪寺九重石塔
 金輪寺の九重石塔は正応5年(1292)に造られたと思われます。高さ2.4m、花崗岩でできています。初層軸部の四方には、顕教四仏が彫られ、側面に「正応五年 歳次壬申 二月八日」と刻まれています。亀岡市の有形文化財に指定されています。
金輪寺九重石塔

頼三樹三郎墓
 幕末時の金輪寺の住職は勤皇僧だったそうです。勤皇の志士が金輪寺に集まり密議をしたといわれています。安政の大獄で処刑された頼山陽の三男・頼三樹三郎の墓が本堂近くにあります。隣には同じ勤皇志士であった桜井新三頼直の墓もあります。
頼三樹三郎墓



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