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京都の旅と歴史
京都の旅    相楽郡笠置町

笠置寺
かさぎでら
京都府相楽郡笠置町笠置山29
Tel 0743-95-2848


 笠置寺は真言宗智山派のお寺です。寺の歴史は古く、2千年前から笠置寺の巨岩は信仰の対象になっていたようです。天智天皇の時代、大海人皇子が狩りに来て弥勒仏に感得して寺を建立したのが始まりといわれています。
 奈良時代に東大寺の良弁(ろうべん)、実忠(じっちゅう)和尚によって大岩石に仏像が彫刻され、その仏を中心に笠置山全体が一大修験行場として栄えました。平安末期の末法思想の流行とともに本尊弥勒大磨崖仏は天人彫刻の仏として貴族・庶民の信仰を集めました。
 建久2年(1191)、興福寺の藤原貞慶(じょうけい)上人(解脱上人)が笠置寺に隠遁(いんとん)して諸堂を建立し全盛を極めました。しかし元弘元年(1331)に倒幕に失敗した後醍醐天皇の行宮(あんぐう)となり、全山焼亡し衰亡します。江戸末期には荒廃し、明治初年、無住寺となりましたが、明治9年(1876)、丈英和尚が復興に力を尽くし、ようやく現在の姿に整えられました。
 境内には大修験行場であった厳しい自然の中に、弥勒大磨崖仏、虚空蔵菩薩磨崖仏が聳え、胎内くぐり、蟻の戸渡り、ゆるぎ石などがあります。十三重石塔、解脱鐘は国の重要文化財に指定され、笠置寺再興勧進状1巻、紙本著色笠置寺縁起3巻は京都府有形文化財に指定されています。


笠置寺十三重石塔(国重文)
 笠置寺にある十三重石塔は高さ4.35m(4.7mとも)の花崗岩の石塔です。室町時代前期(1333-1392)に建てられたと考えられています。初重軸部に薬師、釈迦弥陀、弥勒の四方仏が半肉彫りされています。貞慶上人(解脱上人)が母の供養ために建立したとも、元弘の乱の戦死者供養塔ともいわれています。
笠置寺十三重石塔
 この場所には建久7年(1196)貞慶上人によって木造瓦葺きの十三重塔が建てられていました。元弘元年(1331)の後醍醐天皇の元弘の戦乱により焼失してしまったそうです。十三重石塔は昭和32年(1957)に国の重要文化財に指定されています。
笠置寺十三重石塔

笠置寺五輪塔
 笠置寺五輪塔は十三重塔石塔の左にあります。元弘の乱の際に、後醍醐天皇のもとに駆け付けた石川義純(よしずみ)の墓といわれています。六波羅軍を支援する20万の足利幕府軍と戦いましたが、敗れて自害しています。
笠置寺五輪塔

笠置寺弥勒大磨崖仏
 笠置寺の本尊である弥勒大磨崖仏は本堂、正月堂の前に立つ高さ16m、幅15mの花崗岩です。かつては日本最大最古の天人彫刻として崇められていました。しかし元弘元年(1331)の後醍醐天皇の元弘の戦乱により焼かれ、巨大な光背のみが残されています。
笠置寺弥勒大磨崖仏

解脱鐘(国重文)
 笠置寺の梵鐘は「解脱鐘」と呼ばれ、コンクリートの鐘楼に吊るされています。鐘の基底部は6つに切り刻まれているもので日本には1つしかありません。中国風の独特な意匠で、建久7年(1195)に東大寺の俊乗坊重源が造ったとされています。
笠置寺解脱鐘
 当時、日本の宗教改革者といわれた笠置寺の貞慶上人(解脱上人)に、重源和尚はこの鐘と中国より持ち帰った紺紙金泥の大般若経六百巻を寄進したそうです。しかし大般若経とそれを納めた六角堂、鐘楼は、元弘の戦乱で焼亡しました。解脱鐘は国の重要文化財に指定されています。
笠置寺鐘楼

笠置寺正月堂
 笠置寺の本堂にあたるのが正月堂です。本尊の弥勒大磨崖仏の前にあり、礼拝堂でもあります。大平勝宝4年(752)に東大寺の実忠和尚が千手窟で修行の末に感得した十一面観音を祀っています。現在奈良東大寺のお水取りは二月堂で執り行われますが第一回目は正月堂で行われたそうです。その後、元弘の戦乱で焼失しました。
笠置寺正月堂

笠置寺本坊
 笠置寺本坊は塔頭だった旧福寿院の建物です。全盛期の平安時代には49もの塔頭があったと伝えられています。明治時代まで山内塔頭を総称して笠置寺といい、笠置寺という建物自体は無かったそうです。明治に丈英和尚が入山し、福寿院を本坊に、多門院を毘沙門堂とし、残る知足院、文殊院は取り壊したそうです。
笠置寺本坊

笠置寺大師堂
 笠置寺の大師堂は天平勝宝3年(751)に、東大寺の実忠(じっちゅう)和尚が建立した旧正月堂の跡地にあり、石仏・弘法大師像(室町期))を安置しています。東大寺のお水取りは、天平勝宝4年(752)正月に旧正月堂で始めて行われ、翌2月から東大寺二月堂で執り行われるようになりました。大師堂は明治30年(1897)笠置駅にあった大師堂を旧正月堂跡地に移築したものです。
笠置寺大師堂

笠置寺毘沙門堂
 笠置寺の毘沙門堂は笠置寺にあった49の塔頭・多門院の本堂です。本尊は鎌倉時代の像高50cmの木造毘沙門天像です。伝説では、楠木正成の念持仏で、信貴山の毘沙門天と並んで戦勝の神、福徳の神、財宝の神として多くの人々に信仰されたそうです。現在の建物は平成16年(2004)に改築されています。
笠置寺毘沙門堂

春日明神社
 笠置寺の春日明神社は興福寺の貞慶上人(解脱上人)が春日明神の信託を受けたため勧請した社殿です。般若壷に建立されましたが、元弘元年(1331)の元弘の戦乱で焼失しました。平成28年(2016)に奈良の春日大社・摂社本宮神社社殿を移譲され、再興されたものです。
春日明神社

笠置寺椿本護王宮
 笠置寺の椿本護王宮(つばきもとごおうぐう)は、笠置寺の鎮守社で、祭神として椿本護法善神を祀っています。延喜8年(908)吉野金峯山より勧請されています。しかし元弘元年(1331)の元弘の戦乱で焼失しました。現社殿は桃山時代の豊臣好みの建築手法から考え、豊臣氏が再興した可能性が高いと思われます。
笠置寺椿本護王宮

笠置型燈籠
 笠置型灯篭とは、平安時代に笠置寺参道に建てられていた燈籠と伝えられていますが、現存するものは1基もなく、資料も残されていないため、幻の灯篭といわれてきました。愛知県岡崎市の石材業者組合が大正期に発行された本に形式や、寸法が記載されていたことを見つけ出し今回復元されました。
笠置型燈籠



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